キリシタン殉教の裏
欧米諸国にとって不都合な部分は切り捨てられ、それが社会通念になっている日本の歴史。
例えば、豊臣秀吉政権下の26人のキリシタン宣教師の殉教の理由。
教科書で教えるべき重大事項と思う。
この殉教は日本人の残酷な行為として取り上げてられているが、実は、宣教活動という名の元に行われた数々の行為が秀吉(1537年~1598年)を怒らせ、それに対して詰問条をつきつけていた。
彼を最も怒らせたのは、彼らが日本人を奴隷として海外へ売っていたことである。
それは、日本人もからんでのことであったが。
ポルトガルの宣教師たちは、秀吉が詰問条をつきつけた10年後の殉教の年に、やっと「奴隷購入者破門令」を出したのである。
大量に輸出された日本人!?秀吉が奴隷貿易を禁止した背景とは? | 戦国ヒストリー (sengoku-his.com)
(これについては、何冊もの本も出版されている)。
宣教師たちはときに、秀吉の臣下をキリシタンになるように強制し、信者に神社仏閣を破壊させ、仏教の僧侶を迫害した。
戦国時代を終わらせ、せっかく国が平穏になってきたのに、宗教戦争が起こることを秀吉は恐れた。
さらに、当時牛肉を食する文化のなかった日本で、耕作用の牛を殺し食用にすることに対して、秀吉は抗議した。
彼は、キリスト教の教義に反対したのではなく、その行為に対して怒ったのだ。
宗教に関しては寛容であり、彼らの殉教後にも、キリスト教を禁止はしなかった(『日本人とは何か』(山本七平 平成18年・2006年 祥伝社))。
1511年作
2019年11月、ローマ法王が来日されたおりに、長崎の日本26聖人殉教者記念碑に立ち寄り、祈りを捧げられたことが話題になった。
殉教者に祈りを捧げられたなら、海外に売り飛ばされ過酷な運命をたどり、非業の死を遂げた日本人奴隷のことは、どうお考えなのか?
こんな私でさえ知っている事実であり、イエズス会にもその資料が残っているという。
また、当時のキリスト教を通じた植民地拡大政策を過去の誤りとして認めていたなら、知らないというのはおかしい。
そのことについては、しかるべき筋から日本人奴隷についてはどう思うのかと、抗議すべきだったのではないかと、後になって思った。
これに関連して、ヨーロッパ諸国での宗教戦争でどれだけ多くの命が失われたかを見てみよう。
やはり16世紀にドイツで起こったルター(1483~1546)による宗教改革では、10数万人の人々が命を失った。
ルターを奴隷的状態からの解放者とみて、希望を託した農民たち。
しかし、ルターが自分の唱える宗教改革を実現するには、世俗の権力と金が必要だった。
そのため、無力な農民にではなく、領主側につき「強盗のような、殺人者のむれのような農民に対抗する」 というビラを配った。
その中に 「彼らを締め出し、殺し、そして刺殺せねばならない、ひそかに、あるいは公然と」と書き込んだ。
10数万人の殺されたものたちのほとんどは、領主によって残酷な刑で裁かれた農民だったという。
(『驕れる白人と闘うための日本近代史』(ドイツ語原著 松原久子 訳田中敏 2005年参照)。
ただし、通説としては農民たちがあまりに過激になったため、ルターが離れたとなっている。
偉人を正当化する通説に流されず、松原久子氏の資料に基づいて史実を伝える力がすごい。
その手法が、日本の歴史にも使われている。
この本は、元々、ドイツ在住の彼女が 『宇宙船日本』 という題名で、1989年、冷戦終結の数週間前にドイツ語で書いたものである。
ここで、彼女の来歴を 簡単に紹介しよう。
1958年国際基督教大学を卒業後、アメリカで舞台芸術科にて修士号取得、その後ドイツで日欧比較文化史において博士号取得。
執筆活動(小説、戯曲、評論等)、シンポジウム、講演、討論会などで、日本を欧米へ向けて弁明してきた女性である。
1987年以降は、アメリカへ移住、スタンフォード大学フーヴァー研究所特別研究員となっていらしたこともある。
アジア人差別が、まだあからさまな時代にである。
日本は言葉で防衛しなければならないと、彼女はいう。
防衛とは、日本民族の優越を主張することではなく、歴史的事実、つまり事の真実をきちんと伝えることである。
だが、(日本の歴史の)事の真実は、西洋人にとっては挑発である。
つまり、知りたくない、公になって欲しくない真実があるといっていいのだろう。
ドイツ語で書いたときは、西洋人に対しての日本の弁明であったが、2005年に日本語訳を頼んだのは、日本人の劣等感を打ち破るためという。
私が2005年に初めて読んだとき、新鮮な衝撃を受けた。
彼女自身が 「傷ついて、傷ついて、涙を流した異国での」 白人との闘いと、
日本近代社会が 「汚名をかぶせられて歩んだ」 白人との闘いが、重なり合ったからだ。
いま、徐々に様々な資料が見つかったり、公開されたりして、日本史の真実が次々にあきらかになってきたとはいえ、いまだ、戦後のアメリカによる洗脳から自由になっていない。
『驕れる白人と……』 を書いた氏の気迫と勇気、歴史との向き合い方は、いま読み返しても色褪せない名著である。
江戸時代、鎖国後、戦後の日本の復興とともに変わる欧米人の日本批判、その底に必ずちらつく西洋優越意識が、手に取るようによくわかる。
半導体技術者だった亡き夫を持つ私も、戦後半導体の歴史を調べていたとき、「日本って世界のいじめられっ子」と思ったものである。
夫の死因も、日米半導体摩擦時代の過酷な闘いと、過労によるものであるといえるので、いっそう、共感できた。
松原氏の活動の場が日本ではなく、ほとんどドイツであったため、日本であまり知られていないのは残念である。
私は二度ほどお会いしたことがあるが、小柄な細身のなかに秘められた知的な強さを感じた。
最後に
私自身、ルーテル神学大学に聴講生として学んだこともあり、キリスト教そのものを否定するつもりはない。
次回は3/8(水)に
自作の詩語りとスキャット
~ ギターとピアノと共に ~
『去っていった人 残されたものたち』
亡き夫に捧ぐ
体内時計には逆らえない ~「眠る」も「学ぶ」も「働く」も体内時計に従えば世界は変わる ~
自著を元にエーザイ筑波研究所での講演の一部
亡き次男に捧ぐ
「白く舞うもの」を 「涙のトッカータ」のスキャットに乗せて