下記は、『智恵子抄』で有名な智恵子が、自殺未遂を起こす3日前に書いた母への手紙である。
「長い間の病気が暑さに向かって急にいけなくなってきましたので、
毎晩睡眠薬を飲んでいます。
あまりこれを続けますからきっといけなくなると思います。
もしものことがありましたら、この部屋を片付け、みなさんでよいように
着物その他を始末してください。
皆さん、おからだを丈夫にしてできるだけ働き仲良くやって楽しく心をもってお暮しください。
末永くこの世の希望をすてずに難儀のなかにも勇気をもってお暮しなさい。
それではこれで」
これを読むと、死を決意する直前まで周りへの気遣いをする智恵子が、長女だったことが頷ける。
さらに、日本人だなと思う。
芸術家であった彼女の遺言のなかに、 「できるだけ働き」 という言葉が、あるからである。
智恵子の実家を破産に追いやった弟の素行が、彼女の頭にあったかもしれない・
けれど、日本人の基本の一つに 「できるだけ働く」 ということが、大きな位置を占めている。
働くことへの本能のようなものが、日本人のなかにはあるといっていいだろう。
次に 「仲良く」 といっている。
私の夫や息子は、病気による心身の辛さがありながらも、亡くなる半日前まで働いていた。
それは「企業戦士」などと評されることもあるが、二人を見ていると、企業のためが第一にあるのではない。
技術者だったこともあって、「自分の技術を高める追求をしながら、チームの皆と協力しあって働く」、それを最後まで自分の中心に置いていた。
智恵子の遺言の最後、からだを丈夫にして、できるだけ働き(トレーニングして技術を磨き)、仲良くやって (和の精神を大切にし)、楽しく心をもって暮し(プレーして)ください。
末永くこの世の(最後まで)、希望をすてずに難儀のなかにも勇気をもって、お暮(プレー)しなさい」
傍線部をカッコ内の赤字に置き換えれば、まさに今回のワールドカップで、日本サッカーが世界に見せた日本人の姿ではないだろうか。
和の精神、技術、勇気という言葉は、森保監督自身の言葉でもある。
「楽しく」、「試合を楽しむ」というのは、近年、色々なアスリートが口にしている。
日本はいま、色々な意味でかつての輝きを失っているが、私たちは自分たちが持っているこの良さを自覚して、日本人としての誇りをもっと持って良いと思う。
サッカー選手等のように世界へ出て、世界相手に戦う知恵を身につければ、智恵子の言葉通り、
「末永くこの世の希望をすてずに、難儀のなかにも勇気をもって暮らし」ていくことができるだろう。
かつて、半導体技術者だった私の夫が、1990年代の終わり、ある台湾人にいわれたことがある。
「あなたはビジネスを学んだことがありませんね。
けれど、あなたの人柄が気に入ったので契約しましょう」
このように、そんなうまくいくばかりでないのが、現実の厳しさ。
2011年の福島原発後、
日本がエネルギー確保のためLNGを輸入するので、その交渉をする上司と、技術指導をする息子が、ドーハに行ったときのことである。
息子とドーハのエネルギ―会社の方々
息子曰く、
『向こうは日本の技術が欲しくてたまらない。
でも日本は、足元を見られて高い値でLNGを買わされ、技術指導はただ。
政府ももう少しうまく交渉できないのかなー?』
知恵子の手紙から、サッカー、技術者、半導体、エネルギーとずいぶん話は飛んでしまった。
それは、私が数日後に『智恵子抄』の智恵子役で、朗読ドラマに出演するため、智恵子が最期の言葉として残そうとした手紙を読み返しているうちに、サッカーの試合が行われ、リンクしたからである。
下記に続く
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体内時計には逆らえない ~「眠る」も「学ぶ」も「働く」も体内時計に従えば世界は変わる ~
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「白く舞うもの」を 「涙のトッカータ」のスキャットに乗せて
自作の詩語りとスキャット
~ ギターとピアノと共に ~
『去っていった人 残されたものたち』