長い人は、明日から10連休だそうで、羨ましい限り。
と言っても僕なんかは仕事のない時は、しょっちゅう休みだから日数としては大差ないような、少し違うのは休むと収入がないというだけだ。ガハハ!
僕が免許を取ったころ(30年以上前、昭和の終わりごろ)のガソリンスタンドは日曜祭日が休みで、土曜も昼まで、平日も5時か6時には閉まっていたように思う。
だから、連休は彼女とドライブだ♪なんていう時は、予めスタンドで満タンにする。それが普通だったし、そのタイミングのスタンドは車が並んだりして活気があった。
スタンドが、いつの間にか土日も祝祭日も深夜も営業するようになった。おかげで、あらガソリン無いや、と思っても焦ることはない。便利になったもんだと。
おそらく事の始まりは、スタンド経営者の『オレは、もっと売って、もっと儲けるんだ』という前向きさだったんだろうと、『いや、世の為人の為にオレは土日もせっせと働くんだ』という人も少しはいたかもしれない。
勘違いしないで欲しい。『私利私欲のため』はNGで『利他』はOKだという話ではない。
他人がやらないことをやって利益を上げる。同時に利便性を向上させるのは、良いことだと思う。
多くの店舗が休んでいるなかで、そこだけ営業すれば売上は上がっただろう。人の習性として通勤時に立ち寄るスタンドやコンビニは、犬が散歩でマーキングする場所が決まるのと同じように、何度か立ち寄ると習慣化するらしい。その導入部としては有効な手段だった思う。
スタンドやコンビニが24時間365日営業するようになったのは1975年あたりかららしい。
昭和で言えば50年あたり
もっと沢山、もっと早く、もっと便利に、もっと効率よく。もっともっと・・・
それが昭和だったような気がする。
1989年の流行語「24時間戦えますか」は、まさにその象徴だったんじゃないかと。
人口も車の数も増え続け、その需要を満たすためにガソリンスタンドもコンビニも24時間365日営業し、そこに商品を供給するために物流も工場も24時間365日稼働する。
寸暇を惜しんで働くことにより所得も余暇も増えさらに消費を増大させる。そして経済も成長した。
昭和は、そんな時代だったんだと思います。
時代が平成に変わると同時にお祭り騒ぎが終わった。
国勢調査の結果によると、戦後、5%前後を維持していた人口増加率が平成になって1%以下。平成27年(2015)にはマイナス0.8%。
少子高齢化と相まって消費は低迷し、経済も減速する。
失われた10年と言われ、20年になって、もはや平成は失われた時代になろうとしている。
いくらガソリンスタンドが24時間営業しようと、自動車会社が魅力的な車を発売しようとそれを買う人が増えないのだ。
さて、はたして平成は経済成長の踊り場だったのか、頂点だったのか。
このままアベノミクスを続けて企業が利益をだし、それが労働者に回れば高度成長期のような内需主導の堅調な経済成長が始まる。
だから、いまは踊り場なんだ、一億総活躍、すべての女性が輝く社会のために、いまは厳しくともがんばろうではないか!
正直に言うと、これを言っている人はシラフなの?あるいはおかしな宗教に染まってるのか?と疑いたくなる。
そう、確かに1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博を機に高速道路網は整備され新幹線が走り、物流のスピードは飛躍的に上がった。同時に地方の風景も変わった。
ちょっと街に近い田んぼや畑は安っぽいアパートが建ち、ちょっと広い場所は、同じような小さな家が林立する新興住宅地になった。
水たまりにアサリのカラを捨てていた目の前の道路は舗装されて犬の散歩の時にウンチをする場所もなくなった。
だから、オリンピックと万博をやれば。って、それはオマジナイか儀式のたぐいなの?と訊きたくなる。
24時間365日営業してもダメなら48時間500日営業に、というわけにはいかない。もういっぱいいっぱいなのだ。
平成で起こったバブル崩壊や多くの災害で、僕らは色々なことを学んだ。
生産は一か所で大量に作って物流で回す効率的な手法が多くのリスクをはらんでいること、それは、食料や他の消費財だけでなくエネルギーについても。
そして、それによって被災した人を速やかに救済するシステムも機能していないことについても。
昭和、平成を振り返り、令和という時代を迎えるにあたって、ちゃんと認識したほうがいいのは『もう上り坂は終わった』ということなんだろうと。
平成が山頂であれば、しばらく下り坂が続く。どこまで、いつまで続くのかは判らないけど、しばらくは続く。
う~~ん、それは困ったことでも悲しいことでもないんじゃないかと思ってます。
断捨離が流行ったり、自給的な暮らしに憧れたり、あちこちでオーガニックなマーケットを開いて地域の人が有機的につながったりしている。それは、すでにみんな気づいていて、あるいは本能的なリスクマネジメントとして誰に強制されるでもなく楽しみながらやっているように見えます。
おそらく令和は肩の荷を下ろして、ゆっくり景色を見ながら下山を楽しむ時代になるんだろうなと思います。
でないと、平成があった意味がないから。