9月6日は

「黒の日」

鹿児島の・・黒牛・黒豚・黒酢など、新聞でとりあげられてました音譜



さて・・今日は9月9日。

「救急の日」


今から・・・昔々。

ワタシは、この日に「救急車」に乗りました救急車

時間は朝の8時台だったのでしょうか。


息子が小学校1年の頃。

2学期が始まって間もない頃。

送り出した息子が、我が家から200メートル先位の道路で

乗用車にはねられて、それを近所の人の知らせで

走って行き、息子を抱きかかえたまま・・・

ひたすら、救急車の到着を待ちました。

すぐ側に病院もあったので


「何故運ばないのか・・・」

と、通りかかりの人の声。


でも。。。ひたすら救急車の到着を待つばかり。


救急車の到着を待って、乗り込んで、医師会病院までの時間。

普通に走っても、20~30分の場所。。。長い・・・長い。


到着してから、治療室に入り、

でも、途中で「お母さんは出てくださいと・・・」


部屋の外で、泣く息子の声に身震いしてました。


その時に、病院の廊下の壁に

「9月9日は、救急の日」

そんなポスターがあって・・・・


お財布も無くて、病院の受付の方にテレカ??を借りて

家族に電話をかけたのを覚えてます。


途中の記憶が、今となっては定かではないけど

病室に運ばれた息子は、

右足骨折2本。

目の上を5,6針縫ってました。


顔も足も包帯だらけで・・・・


車にはねられて、右側から道路に落ちたので、体の右半分に怪我を。




それから、28日間の入院となりました。

外科病棟に一緒に寝泊りして過ごしました。


入院中は、松葉杖から車椅子。

退院してからは、車での送迎。


しばらくは、歩いて小学校に行くのが怖かったようです。

母が、毎日・・・途中まで送っていってくれました。



相手の車の運転者は、車で子供さんを学校に送る途中で

事故現場の手前で、スピード違反で捕まり

それで、急いで子供さんを送る・・・・そんな場面だったようです。

息子の姿は見えなくて、気がついたら、ボンネットの上だったらしいです。

その時のスピードは40キロほど。

50キロだったら、、、おそらく。。。。。。らしいです。



まぁ、息子はその後は、元気に成長しましたが

毎年「9月9日」・・・「救急の日」を迎えるたびに

思い出します。


こうして、再びあの時の事を思い出しながら

途中の記憶を覚えてない事に・・・あたふたしながら・・・・



救急車の中で、隊員の人が息子の足を動かしながら

「動くかな???」と動かしてましたが

その時、、、折れてましたので。

それは

それは・・・・・

とっても・・・・非常に

痛かったであろうと。。。。。

後から思い出し、涙したワタシでした。




病院の廊下のポスター。。。

ハイ、これだけはシッカリ覚えてます。




息子に言いました。

「車の人は、歩く人を見てないと思ってね」

息子が、この時の事故をどれ位覚えているのか・・・な。

来週帰国の息子クンですが。



落ちたときにクッションになってくれたランドセル・・・壊れてましたね。

こうして書くと、ぽつり・・・ぽつり・・・思い出しますね。


入院中は、暇なので車椅子で売店に行ったり

病院の敷地内を散歩して、「栗」を拾ったり

今にして思えば、あの硬い床にシートを敷いて寝てたけど

今だったら。。。。無理。

(ベンチはあったけど、音がギシギシ??したので他の入院患者さんに

迷惑なので、床シート敷いて・・・・)


でも、外科病棟は、わりかし~~~明るかったです。

食事も制限ないしね。

ワタシは何を食べていたのだろうかぁ・・・

母からの差し入れだったような、お風呂に我が家に帰って食べていたのかなぁ・・・・



どうか。。。。皆様も

車の運転中

歩行中・・・・・気をつけてくださいね。



そうして、長いダラダラ・・・思い出しながらの今日のブログ!

お付き合いくださって、ありがとうございます。