知っている人にとっては今更な情報だが、知らない人もいるので一度ここに記しておこう。
とりあえず「アメリカは真珠湾攻撃を事前に知っていた」論拠の根拠となる証言を書いた和中光次氏のツイートを拝借。
この時の法廷の記録によると、ブラットン大佐が日本大使館宛の、暗号簿と文書の破棄命令を傍受したのが12月3日で、日本大使館では文書の焼却が見られた。大佐はそのことを諜報部長マイルズ将軍と作戦計画部長ジェロウ将軍に報告、おそらく開戦を意味する、ということで意見が一致した。… pic.twitter.com/LWwejYuDDH
— 和中 光次(わなか みつじ) (@111g0) June 5, 2023
資料として、ブラットン大佐の証言前の、ブレイクニー弁護人の発言を上げておきます。…
— 和中 光次(わなか みつじ) (@111g0) June 6, 2023
アメリカが知っていたのは当然。それは日本に攻撃させたかったのはアメリカだったから。
アメリカの第二次世界大戦当時のアメリカの国務長官、ヘンリー・スティムソンの日記がここにある。
1941年11月25日
スティムソンの日記
差し迫った日本との戦争の証拠について議論するために、ルーズヴェルト大統領に会った。問題は、『我々にあまり危険を及ぼさずに、いかにして彼ら(=日本)を先制攻撃する立場に操縦すべきか』
— スティムソン、Stimson diary, November 25, 1941
I met with President Roosevelt to discuss the evidence of an impending war with Japan. The question is, "How can we maneuver them [Japan] into a position to strike first without posing too much danger to us?
- Stimson diary, November 25, 1941
”いかにして彼ら(=日本)を先制攻撃する立場に操縦すべきか”
と書かれてある。
この操縦された人間達は誰だったのか?
近現代歴史研究家の林千勝氏によると怪しいのは
永野修身
山本五十六
米内光政
そして
風見章
と思われる。
それには数々の状況証拠があるものの、上手くまとめて説明するには難しいため、ここでは少しだけ触れることとする。
戦前、日本では陸軍省秋丸機関による緻密な戦争シミュレーションが行われ、イギリスは海洋ルートを押さえれば経済の半分がダメになることがわかっていたから日本軍はインド洋に向かう作戦であった。アメリカと対峙しても勝てる見込みもなく、攻める理由もなかった。
S16.8月 山本五十六の連合艦隊司令長官の任期が切れていた
山本は非公式な場面で伝えていた
昭和15年11月下旬 山本が真珠湾奇襲攻撃を口頭進言
昭和16年1月山本の及川海総宛に手紙
昭和16年9月12日 山本が近衛に「一年や一年半は存分に暴れてご覧に入れます。しかし、それから先のことは全く保証できない」
9月中旬 図演(於海軍大学校)
ゾルゲが真珠湾攻撃計画を内務人民委員部長官ベリヤへ報告
昭和16年
9月24日 山本 「職を賭する」を軍司令部に伝達(1回目)
9月29日 大本営陸海軍部 ハワイ攻撃を認めない
「戦争指導要綱」を正式決定
9月末 永野軍総司令部が真珠湾奇襲を条件付き承認
10月3日草鹿・大西両参謀長が反対表明
山本が硬い信念、「職を賭する」を軍司令部に伝達(2回目)
10月17日 天皇の戦争計画の「白紙還元の御(言偏に定)」
10月19日 山本 「職を賭する」を軍司令部に伝達(3回目)
昭和16年11月15日 大本営政府連絡会議でハワイ攻撃を認めない
「腹案」正式決定
昭和16年(1941年)12月8日 真珠湾攻撃
永野修身はドタバタの中で陛下に奏上しているが記録がない。
永野修身は「真珠湾攻撃をしなければ、山本五十六がやめるというから。困るから。」決済したと説明した。
他に近衛内閣のメンバー、元朝日新聞社記者風見章とその仲間達、昭和研究会等々の説明がないと何がなんのことだか理解に苦しむだろう。端的に伝えられるよう努力をしてみたい。