
アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の名前は多くの人が聞いた事があるだろう。金融関係のニュースで登場し、世界経済をコントロールしている、もしくは経済予測や対応をしているように見えるこの機関、実はアメリカ政府のものではない事をどれだけの読者が知っているだろうか?
そして日本銀行もまた、政府機関ではない。日本の場合、一部政府が保有しているからマシにも見えるこの銀行券を発行できる権利は何故かアメリカ人ではない人が保有しているという。
このドルを刷る権利を国が持つべきだ。と唱えた大統領達はFRB創立前から暗殺、もしくは暗殺未遂にあってある。
以下、他のネット記事から拝借。
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歴代のアメリカの大統領で在職中に命を落とした人は病気、暗殺を含めて6人いる。 1945年の脳卒中によるフランクリン・ルーズベルトの死を除く5人の死の原因は暗殺が4人と旅行中に食べた食事が原因で重い食中毒になりそれが原因で死亡したのが1名だが、そのうち4名までが中央銀行に反対していた。 ちなみにその4人とは1865年のリンカーン、1881年のガーフィールド、1923年のハーディング、1963年のケネディーの4人。(金融界の実情より)
アメリカの通貨発行の歴史
1694年
・英国に中央銀行設立
1776年
・ ベンジャミン・フランクリンは独立を宣言し、同時にアメリカ独自の通貨を発行。
1787年
・9月17日制定の合衆国憲法で、第一章第八条第五項に「合衆国議会は貨幣発行権、貨幣価値 決定権ならびに外国貨幣の価値決定権を有する」と規走した。
1791年-1811年
・アメリカの最初の中央銀行である米国第一銀行が議会で20年の時限立法として承認後運営を開始。
第3代大統領トーマス・ジェファーソンと第4代大統領ジェームズ・マディソンによって最終年1811年に葬らた。
米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンの言葉「通貨発行の権利は銀行家達の手から取り上げて、元来所属すべき人民の手に戻すべきである。」と発言。暗殺未遂。
米国第4代大統領ジェームズ・マディソンの言葉「歴史は記録しているのです。 通貨を発行し金融を支配する事で 政府をコントロールし続けるために 両替商達はあらゆる形態の悪用、策略、騙しや暴力を使ってきた。」
1816年-1836年
・国際金融家達はあきらめずに、今度は米国第2銀行を法制化。
これは第7代大統領アンドリュー・ジャクソンによって葬られた。(2度の暗殺未遂)
アンドリュー・ジャクソンの言葉 「私は 銀行をつぶした。」
彼はまた憲法に基づき政府発行の通貨を使い政府の借金を全額返済に成功しましたが、これはアメリカ史上で最初で最後の出来事。
1861年-1865年
・第16代大統領エブラハム・リンカーンは中央銀行に反対。(暗殺)
南北戦争の戦費調達のためリンカーンは『グリーンバック』という財務省紙幣と政府統制下における銀行に通貨発行権を与えさせ、経済効果をもたらした。
1881年
・第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドは中央銀行に反対した2週間後に暗殺される。
1910年
・秘密の会合がジョージア州のジェキル島で開かれ 連邦準備銀行設立について話し合われた。
1913年
・連邦準備銀行(FRB)は 通貨発行に関する独占的地位が与えられた。この時の大統領が第28代ウッドロー・ウイルソン大統領。
アメリカの通貨発行権を巡る血みどろの戦い ワヤクチャ
www.asyura2.com
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第29代ウォーレン・ハーディング大統領(食中毒関連死)
FRBの否定。FRBは民間企業であり、巨大資本家の意のままにあることを知っていたハーディング大統領は、「政府紙幣」の模索もしたと言われる。前職28代大統領がFRBを設立したウィルソンだった。
https://tetsu-log.com/harding-2021-10-20.html
第35代ジョン・F・ケネディ(暗殺)
1963年、ジョン・F・ケネディーはFRB(連邦銀行)の持つ力をそぎ取る目的の政府紙幣の発行のための大統領行政命令「大統領令11110号」にサインした後に暗殺。
https://seikei-japan.com/john-f-kennedys-brave-figure/
第40代ロナルド・レーガン(1981年、ジョン・ヒンクリーによって銃撃されたものの一命をとりとめる)が負傷。(暗殺未遂)
ケネディ以後、初めてディープステートの企てに異議を唱えたのは、第40代大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガンだ。
レーガン大統領は、1980年の大統領選の際、デヴィッド・ロックフェラーとズビグニュー・ブレジンスキーが設立した「三極委員会」から送り込まれた者たちが、カーター政権の要職を19も独占していたことを指摘して、
「三極委員会は国際銀行業、多国籍企業などの利益のためだけに存在する集団である」
とカーター大統領を痛烈に批判した。しかし結局、レーガンは大統領に当選したあと、自らの政権の10の要職に「三極委員会」のメンバーを送り込まれてしまった。
この時点で彼は、ディープステートの隠然たる力の強さに気付いたようだ。
そこからのレーガンの状況把握は素早いものだった。彼はあっという間に、FRB による詐欺行為、ディープステートによる通貨発行権の横取りに気付いた。
FRB の詐欺を公表
1982年6月30日、レーガン大統領は「物価統制についての民間部門調査」、いわゆる「 グレース委員会」を発足させ、民間企業である FRB の「無駄遣い」を調査させた。
その後、1984年1月15日にレーガン大統領に提出された「グレース委員会報告書」は、次のようなものだった。
「連邦政府が納税者から集めたお金の100%は、連邦政府が FRB から借金したお金の返済に回されている。
アメリカ合衆国の全国民からの所得税収入は、そのお金で政府がやってくれると国民が期待していることに、5セントすらも使われないままに、あとかたも無くなってしまうのである」
レーガン大統領は、ついに税収が国民へのサービスに全く使われることなく、すべてFRB 経由でディープステートたちの懐に入っていることに気付き、それを報告書の形で国民に公表したのだ。(続きはこちら)
https://shunsasahara.com/entry/2020/11/01/183620
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マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの銀行発行権についての発言は有名だ。
"私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。"
しかし、ロスチャイルドはあくまでも「フロント」である。ロスチャイルドにお金を貸しているのはスイスのキャボット家である事は頭の片隅に入れておこう。