こんにちは。

読んでくださってありがとうございます。

 

中学3年生の始業式から、娘が通学を再開し、

さらには学校まで遠いから近くへ引っ越したいというようになりました。

 

主人と私は話し合いを重ね、今の家には主人にいてもらって、

娘と私だけ学校の近くにアパートを借りて、平日はそちらで生活をするということに。

 

2学期から、その生活ができるように、

夏の間に、アパート探しをして引越しをしました。

 

最初は、もしやっぱり学校へ行きたくないということがあってもいいように、

しばらくホテル暮らしにしてみる?とか、

家具付きの短期滞在アパートを探していたりもしました。

 

ただ、自分たちの思うエリアに良い間取りのものがなくて、

娘も学校へ楽しそうに通っている様子だったので、

思い切って、賃貸アパートを借りることにしました。

 

もしやっぱり学校へ行きたくなくなったら、その時はその時で帰ってきたらいいからと、

主人もあたたかい言葉を娘にかけてくれました。

 

そうこういしてる間に、1学期も終わりが近づき、

秋の学祭でやる演劇のキャストを決めるタイミングになりました。

 

実は、ちょうど1年前、中学2年生のときも学祭で演劇があったのですが、

担任の先生が、学校へ来ていない娘にも何かやってみる?と声をかけてくれて、

そしたら意外な娘の回答が、セリフがない役ならやってみたいと言ったのです。

 

全部が嫌なわけじゃないんだと、この時思いました。

 

本当はキラキラした学校生活をみんなみたいに送ってみたい。

今しかできない青春がしたい。

でも、自信がない。自分の顔きらいだし、みんなの目線も怖い。

と、この頃言っていたと思います。

 

中学2年生のときは、そのセリフのない役を無事に演じ、その前の練習にも行っていました。

幸い、クラスのみんなはあたたかく迎えてくれたようです。

 

そして、通学再開した中学3年生の演劇では、主役に立候補したといいます。

 

しかも、主役に立候補した人が複数人いたので、実際にセリフをみんなの前で演じて、投票で決めるということになったそう。

 

そして、見事に娘が選ばれたのです。

 

人の目線が怖い、教室へ入るのが怖い、電車に乗るのも怖い、と言っていた娘が、、、

ほんとに信じられませんでした。

 

でも、本当はやってみたかった。

自分を表現してみたかったんだと。

 

そういえば、小学校の中学年くらいまでは、司会に立候補したり、応援団に入ったりと、やりたいことを率先してやっていました。

 

それが高学年になって、思春期にもさしかかり、

親から受験を半ば強いられ、塾に入れられ、成績がすべて順位付けされるという競争社会へ。

 

その頃から、娘は自分を見失い、結果辛い想いをさせてしまいました。

 

でも、不登校を経て、通学を自ら再開し、ちょっとずつ本来の娘が戻ってきたようにも感じました。

 

無事アパートも決まり、夏休みの間に引っ越しをして、アパートで生活できるように環境を整えました。

 

そして、いざ2学期。

 

娘の様子がちょっとおかしい。。

始業式は行ったけど、その翌日から学校を休みがちになります。

近いから朝遅くなで寝てられると、行くとしてもほぼ遅刻。

 

幸い、一番仲の良かったお友達も同じような感じで、2人で連絡取り合って今日は行く行かないを決めている様子。

そしてさらに担任の先生は、遅刻でも全くwelcomeな先生ですくわれました。

 

私の中で、娘が学校へ行くという期待がいつの間にか芽生えていて、

自分の中でそれはなくしたはずなのに、また期待してしまっている自分がいました。

引越しまでしたのに、結局いけなくて戻ってきた、という世間体をちょっと気にしている自分にも気づきました。

 

本当に自分ってなかなか変わらないんだな、とも思いながら。。

 

ただ、娘の話を聞きながら、ごはんの準備をして、見守る日々が続きます。

 

娘は、秋の学祭に向けて主役の身でもあるため、練習にも出ねばならないというプレッシャーもあったようです。

いざなってみたけど、やっぱりやめておけばよかったと、泣きながら言ってくることもありました。

 

主役はきっと代役でしてもらえるだろうし、娘自身が無理しない選択をね、と私は娘に話していました。

それに、引越しをしたけど、うちに戻っても全然OKなんだよーとも。

 

娘が決めるだろうから、それ以上は何も言わず話をしてきたら聞くということに徹していました。

本当は私の心の中で葛藤もあったのですが。。

 

2学期が始まってから2週間くらいそんな日が続きました。

 

長くなりそうなので、次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

読んでくださってありがとうございます。

 

不登校中に、東京のコミケに出展したというお話の続きです。

 

それが、3月だったのですが、4月から中学3年生の新学期がスタートするという始業式の日。

 

前日に娘が、明日学校に行くわ。と言いました。

新学期で、環境が変わるタイミング。

どんなクラスになるかちょっと見てみたい。

 

という感じで言っていたと思います。

 

そっかそっかと見守ることにしました。

 

化粧も髪を染めるのもOKな学校だったので、

娘も不登校中にマスターしたメイクと、ヘアカラーで、ちょっとおしゃれをして学校に行ったんです。

 

確か2年生の新学期のときも、学校へ行きました。

でも、やっぱりしんどいということで、行かなくなりました。

 

今年もそうなる可能性ももちろんあるなと、

もうその頃は、どんな状況になろうとも見守る気持ちはかたかったので、私もどっしり構えていられました。

 

すると、初日からお友達ができたようで、

「〇〇さん、めっちゃ可愛い。仲良くしてほしい。」

 

って、声をかけてくれた女の子がいたようです。

結構活発な子で、その女の子含めた男女のグループに入ったそう。

 

翌日も、翌々日も学校へ通いだし、毎日こんなことがあったとか、いろいろ話をしてくれました。

私も娘が楽しそうなのは、すごくうれしくて。

話してくれること以上は聞かないように気をつけながら、

そして無理しやんとね~という声かけをしていました。

 

幸い担任の先生にも恵まれ、とても面白くて大人気の先生だったようです。

 

毎日学校へ通うようになり、

不登校中に趣味で始めたアコースティックギターも学校へもっていって、お友達の前で演奏したり。

これまでの娘では考えられないことが続きました。

 

娘のエネルギーが溜まってきたというタイミングでの、

お友達や先生との出会いがきっかけでした。

 

本当にありがたいことで、学校へは行ってもいかなくてもいいと思っていたけど、

こんなに楽しそうなら、行けるようになって良かったのかなとも思いました。

 

ただ、通学時間が長ったんです。

通常は1時間半くらい、電車の乗り継ぎが悪いと2時間近くかかりました。

 

5月半ばくらいに娘が、

「学校へ通いたいけど遠くてしんどい。できるなら学校の近くに引っ越したい。」

 

と言い出しました。

 

この時、私は正直娘の想いを叶えてあげたいと思っていて、

寮はないので、学校から近いところにアパートを借りて、平日は娘と2人でそこに住むという生活を描き始めました。

 

そして、そのことを主人に話してみたら、

最初はそこまでする?という反応だったのですが、

やはり、娘のこれまでを主人も隣で見てきているので、きっと悩んでくれていたのだと思います。

主人と私で話し合いを重ね、結果2拠点生活をしてみようということになりました。

 

今考えたら、よく決断したなと自分でも思います。

1年以上学校へ行っていなかった娘が、再び学校へ通いだして、2か月足らず。

学校の近くへ引っ越したいと言い出して、

それを叶えたとして、また不登校に戻る可能性ももちろんあるわけです。

 

でも、その時は、娘の願いを叶えたい一心でした。

これまでにない明るく楽しそうな娘の様子を見ていたら、その選択肢以外考えられず。。。

 

主人には、平日1人で生活してもらわねばならず、

これまで私が全部やってきた家事を、お任せすることになります。

 

でも、それも主人も承諾してくれて。

もちろん、生活費も増えることになるのですが、それも任せてと言ってくれました。

 

この2拠点生活を始めるという頃の私たち夫婦の会話は、だいぶ絆が深まっていたというか信頼関係がかたまっているような感じでした。

 

実は、以前はきちんと話し合えなかったことも多かったんです。

お互いの発言にイラっとしたり、私もすぐ泣いてしまったり、

自分の想いをきちんと伝えられなかったり、今ほど仲良くありませんでした。

 

家族での食事の時間に、夫婦の会話のせいでピリつく瞬間も結構ありました。

それを、感受性が強い娘は常々察知していたと思います。

仲をとりもとうとしてくれいたこともありました。

 

外でも気を遣い、家でも気を遣い、娘が安らぐところがなかったんですね。

 

娘の不登校をきっかけに、主人と私は話し合うことが必要な場面が多くなりました。

私自身も、自分が主人の言葉にイラっとすることを改善していくということにも目を向け始め、そこで気付いたのが、私はいつも主人に対して劣等感を感じていて、競争心やプライドもあって、それを主人のせいにして、心の中では主人に対して文句を連ねていたのです。

心の中で思っていることは、もちろん伝わります。特に敏感な子どもには。

 

それを変えていこうと、自分の中で主人に対して感謝の気持ちを持つことを意識するようになりました。

 

するとだんだん以前言われてイライラしていた言葉に対して、イライラしなくなり、

笑って返せるようになったり、笑いで返せるようになったり。

私自身、自分の意見や気持ちを人に説明するのが苦手だったのですが、

娘が不登校になって、娘の気持ちや自分の想いを、主人にはわかってもらいたいと、

パニックにならずに伝える練習もするようになりました。

そしたら、主人も話をよく聞いてくれるようになって、

さらにいろんなことをよく話してくれるようになって。

 

結局私は、娘のことも主人のことも、人の話をきちんと聞いてなかった。

相手の気持ちを受け止めてあげてなかったということに、娘の不登校がきっかけで、気付くことができました。

 

そういう時間を娘の不登校から1年ちょっとの間重ねてきた結果、夫婦仲は大変良くなり、

協力しながら2拠点生活の話を進めていくことができました。

 

もちろん、娘は学校までの距離が近くなると喜び、そこから家探しが始まりました。

 

長くなりそうなので、次回に続きます。

 

 

 

 

こんにちは。

読んでくださってありがとうございます。

 

前回は、不登校中にコミケに出展するというお話をご紹介しました。

このときは、もう既にだいぶエネルギーが溜まってきている様子だったのですが、

今回はその頃より前にちょっと戻ります。

 

というのは先日、断捨離をしようと片付けていると、不登校真っ只中だった頃の娘からのお手紙が出てきました。

 

コミケに出るよりももっと前、不登校なって数か月くらいの頃のお手紙だと思います。

後にも先にも、そのような手紙をもらったのはその時限りだったのですが、

 

私が娘に、今どんな気持ちかを教えてほしいと、無理に聞き出そうとしていた頃だったので、

娘が手紙という形で教えてくれたのだと思います。

 

どういう風に手紙を渡されたかもう覚えていないのですが、

手紙といっても、大きな付箋に何枚も書きなぐったような感じのもので、

娘のそのときの感情がそのまま表れていました。

 

近頃は、この手紙の存在をすっかり忘れていて、しまいこんでいたものを、つい先日見つけてもう一度読み直してみたのです。

当時はこの手紙を読んで、とっても衝撃を受けてショックだったのを思いだしました。

 

そして、今あらためて読んでも、胸が締め付けられる思いで、涙が出ます。。

 

そこに書いてあったことは、

 

まず、「時間があるときに読んでね。」と書いてあって、

 

「自分が受け入れられない。

ママのせいじゃないし、誰のせいでもないから、自分を責めないでね。

何も言わなくていい、ただ自分の気持ちを知ってほしかっただけ。

 

やらなきゃいけないこともできなくてごめんなさい。

こんな子どもでごめんなさい。

きもちわるくてごめんなさい。

直接いえなくてごめんなさい。

直接はこわいんです。

否定されたらって。

あやまらなくてもいいことかもしれないけど、

あやまらないと気が済まない。

前より悪化してるかも。

 

どうしたら喜ぶだろうって考えて行動するのしんどいよ。

SOSだしても、みんな同じ気持ちになることあるから、

自分だけじゃないよって言われる。

だからがんばらなきゃいけないのにがんばれない。

なんかいも同じこと言われて、あきれた目で見られる。

否定しないでほしい。

がんばったね、つらかったね、って言ってほしい。

みんなの方がつらいのに。

がんばって毎日学校いってるのに。

自分だけ甘えてる。

自分なんて大嫌い。」

 

ほんとに今でも、読んでいて涙が出てきます。

 

こういう内容がだだーっと書かれていて、それを読みながらそのときは私号泣しました。

そして、やっと気づきました。

 

このとき、私は娘に対して、

「誰でも落ち込むことあるし、大丈夫だよ。」

 

というような声掛けしていたんです。

 

まず、娘の気持ちを受け止められてなかったんだと気づかされました。

 

ママもみんなも同じ気持ちになることあるよ。

っていうのは一見優しそうに聞こえるけどそうじゃない。

打ち明けてくれた気持ちを否定しているように感じてたんだと。

 

みんなは関係ない。

まずは、今のこの子の気持ちをしっかり受け止めてあげること。

 

それが私に足りてなかったんだって、この手紙をもらって、初めて気づいたのでした。

 

ほんとにこれまで気づいてあげられなかった自分がショックで、、、

 

そして、そんな親にまで、自分を責めないでねって気を遣っている文章もあって。。

涙しかありませんでした。

 

このくらいのときは、ちょうど娘をメンタルクリニックに連れていこうとしている時期でした。

病名がついた方がらく、と娘自身が言っていたので、そしたら一度病院へ行ってみようかと、

メンタルクリニックへ少しの間通っていたのです。

 

かなりいろいろ調べて、人気なところは数か月待ちとか、半年待ちとか。

そして最近は、思春期外来というのがあるようで、その思春期外来があるクリニックで評判がよさそうなところをかなり探していき始めました。

 

でも結局、通うのはやめました。

娘曰く、知らない人に自分の心情を吐き出せないと。

そして、吐き出すつもりもないから、もう行くのやめると、3~4回通って終わりました。

 

今回紹介した娘からの手紙で、

もう一度このときの娘の気持ちに触れて、あらためて子育てというのは、私の一生の中で一番の宝物だなと思いました。

 

自分が死ぬときに、一生の中で何が一番よかったかを振り返るとしたら、

大好きな人と結婚して、その人との子どもを授かり、

大変なこともあったけど、1人の人の成長を、赤ちゃんからずっとずっとそばで見守り、その成長にかかわれたことなのではないかと想像します。

 

だから、この手紙はこれからも大切にとっておきたい。

辛い思い出だけど、それも今となってはかけがえなのない思い出の1つです。

 

今回はちょっと時期戻りましたが、

次回は、コミケ出展の後の娘の様子を書いていきたいと思います。