アーニャが受験の回。
アーニャ「大丈夫ます!」みたいに父に答えていて、思い出し笑い。
講習会でしょんぼりして、出てきた五歳児の2号。
どうしたのかと思ったら…
面接官の先生に名前を尋ねられて
「◯◯ ◯◯君ですッ!」とチカラいっぱい元気よく答えたそうです。
そうしたら、「君(くん)はいらない!」と叱られたんだそう。
あー、確かにね。
家族に名乗る事がないし、なんとなく「◯◯君ね…」と話していたような気もする
ママ、うっかりでした。
駐車場での悔し涙が、懐かしい。
アレ?1号の受験の時は、どうだったかな?
親子面接があるので多少練習しましたが、そんな心配も失敗もしなかったなぁ
2号はどうしても1号と登校したかったので、お受験するしかなかったのです。
残念だった時のために、「近くの学校とどちらが2号にピッタリか、見てくれるんだよ。」と声がけも忘れずに。
ただ転校をしていたので、1号の時とは違いました。
1号の小学校では、親子面談(親には頻繁なPTAへの参加や学校への理解を質問されたし、子どもは質問に適切な回答ができるか、親に質問中にキチンと座っていられかを主に見られていたと思います。)に道徳心を見られたペーパーテスト、簡単な運動テストなどでした。
試験内容が全く分からず、同じマンションの先輩ママにお声かけし、教えてもらったのですが… 東京のお受験とは比べ物にならない程、ペーパーが少ない!
どちらかと言うと面談中も含め、子どもの様子を重視していたような気がします。
(教頭先生と副校長先生が、男女別に対応。校長先生は、大学の教授なので実際には…)
2号は、子どものみの面談(突っ込んだ内容はなし)、指示行動、7種程度の運動テスト(初見で記憶して、でんぐり返しや鞠つきなどをする)にみっちりペーパーテスト。
兄弟姉妹などがいるのが分からないように、一切名前がついたものは身につけてはいけません。願書にもそのような欄はありません。
嫌がったペーパーテストは、その内にこちらの過去問コピーが追いつかなくなりました。
運動神経はいいので対策はいりませんでしたが、その部屋までの移動時に静かに整列している必要がありますから、講習会は必要でした。
幼稚園と違い、知らない場所で知らない子ども達の中でいつも通りになんて、練習しないと厳しいですよ。
知人は、KO幼稚舎にいきなり連れて行き、泣かれて会場にも入らず帰宅。素のオレの子が、どこまで通用するか試したかったそう。なら、お前が準備なしに30年ぶりに大学受験してみろ!!可哀想に…
でも合格したんですよ〜。
3倍以上の倍率でした。
2号は、ギリギリ最後にはもぎ取ってくる、そんな子でした。
中学受験も、そう。
まさかの第一志望合格を全面で応援したのは、塾の算数担任だけ
なので、夫は今回も「大丈夫でしょ。アイツは最後にはなんとかするから!」と言い続けたのです。
今回は違うと、パンシロンが切れる日は無かったです。
当時いた地方でも、小学校から何かしらの塾には行く土地だったので、課金はずっとしていたと思います。
内部進学でも、順位を上げる為に塾が必要になるとは思いもしなかったけれど。いや、順位は最後まで分からなかったけれど。普段の成績を上げる必要があったのよーー!
部活は週6、20時帰宅がデフォ。バンバン留年だすし、追試や補講はないし。パンフにない事ばかり。
アーニャが学校のお制服を作りにいき、父ロイド氏が「金がかかるな。」
甘ーーーい!
課金は続くよ、どこまでも。