放デイも。だめかもなぁ。でも……。 | ふにふに日記~ねこ·オカヤドカリ·ハンドメイド·不登校~

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手先は器用ですが、その他大半が不器用です。
二匹のねこと、オカヤドカリ、不登校の娘との毎日を、ゆるく綴っています。


発達障害について勉強中ですビックリマーク

「自閉スペクトラム症」と診断された、

不登校の娘との日々の記録ですスター



放課後等デイサービス。


半年以上かけて準備をしてきて、


やっと!



と思っていたのもつかの間。




娘は、通うことができないかもしれません。




2回ほど試してみましたが、

私から離れることができませんでした。


『行くの?行かないの?』という会話も辛く、

放デイに行けなかった日は、

私のエネルギーがものすごく持っていかれます。


ぐったりしてしまって、

何もしたくなくなって。

娘ともギクシャクしてしまって。


家の空気が、最悪です。





こんな思いをするくらいなら、

もう辞めようかと思えてきます。



私は甘いのでしょうか?


もう少し頑張らせることも必要なんでしょうか?



無理矢理連れていくことも、

きっとできなくはないです。



でも、私はそれをしたくないです。



なぜなら、


私が子供の頃に、



母に、無理矢理、学校に連れて行かれて、


辛かったから。




自分が母親となった今、


あの時の母の行動もわからなくはないのです。


きっと、心配だったのだと思います。


30年前。

今とは「不登校」というものの扱いも、

全く違ったでしょうね。


今のようにスマホやインターネットも無く、

情報も少なかったんだろうと思います。


だから、


きっと母も、


どうしたらいいのか、わからなかった。


とりあえず、学校さえ行っていれば……。



そんな時代だったのかなと思います。






それでも、私はあの頃とても辛かった。


「学校に行けない事」の重さが、


現代とは全然違ったように感じます。


「学校に行けないなら、仕事だってできない」

「学校に行けないのだから、

 大人になっても生きていけない」

「学校に行けない私は、死んだほうがいい」


殺伐とした家の中で、

自分の机の下に隠れて、

ずっとそう思っていました。



大人になっても、

「学校へ行っていなかった」

というコンプレックスをずっと抱えていて。


自信をつけたくて、

資格の勉強をしたりもしました。




けれど、

自分が大人になって、

そんなことはなかったと、

思えるようになってきました。



こんな私でも、できることはゼロじゃなくて。

正社員にはなったことがないけれど、

アルバイトやパートもやってこれて、

大人になって、

娘にも恵まれました。



だから、




娘には同じ思いはさせない。




そう心に決めています。




生きていていいんだよ。


道は「学校」だけじゃないよ。


大丈夫だからね。





娘が、楽しいから行きたい!と思える場所が、


見つかるといいな。