あの親にしてこの子。。。とでもいうのでしょうか?
もう父に殴られる心配はない介護。。しかし、父は口だけは達者なのです。。昔なら父が怒り出すと恐怖でしかなかったのがいざとなれば私の方が体力的にも強くなっています。。言い返せなかった私も弁がたつようになり、父が黙ることもありました。
ある日父が言うのです。。
「似てるね~~嫌だね~~」と。。
そりゃそうです。私が暴言を聞き、殴られながらどうやって相手を追い込むか?の手練手管を父から教わってしまったのですから。。そしてしみじみもっともらしいことを又云うのです。
「環に一つ言っておきたいことがある。」
それを言ったらお仕舞と言う時に言葉を飲み込みなさい。」って。。
心の中ではあんたに言われたくないと思いましたが、まぁ聞きました。。
父が悪役をしていた頃、本当に仲の良かったあるスターさんが居て。。その方が主役の作品にはよく出ていました。
母が亡くなってすぐの時、ご自宅に私も呼んでくださったり太秦の撮影所に私も行くと。。
「お嬢!」なんて呼んでくださって、優しい方でした。
でも、ある時喧嘩したみたいで、私もなんとなく知ってはいたのですが。。
その話をしだしました。。
あの時言われたそうです。もう喧嘩はやめようとして声をかけらたらしい。。
用は相手が折れてくれたということですね。。
「元ちゃんも気。。きついなぁ~~」と。。。その時に相手から折れられたことが悔しかったみたいで。。言ってはいけない事を言ったそうです。。
「はい、昔、人のこ〇し方を覚えましたから。。」って。。。
もう、私はえ~~~っ!ですよ。。
それで縁が途切れたというのです。。
で、聞きました。
「本当にそんなこと覚えたの?」と。。
「昔。。自暴自棄になったんだよ。。〇んでしまおうか!って悩んでね。。気づいたら兄さんの所を訪ねてた。。」
父の兄はその頃ヤ〇ザの組に入っていたそうです。
父もそこへ身を寄せたのだそうです。。
その時に教わったそうです。
も==うビックリですよ。。
もう少しで鉄砲玉に使われる時に。ある幹部さんが父に言ったそうです。。
「お前は頭がいい。。もっと命を大切にしろ!堅気になったほうがいい。」って。。
それで抜ける決心をしたんだとか。。但し落とし舞いとしてぼこぼこに殴られた。。そうです。。
その後、歌舞伎をよく見に来ていた人の口利きで新国劇に入り、将棋の木村名人と会って木村玄(当時はこの漢字)と言う名前を貰ったと言っていました。
この時はびっくりしただけでしたが、
今は繋がっています。
逃げ切ったのなら〇んでしまいたいほどの自暴自棄になる筈もない。
その感情は私が経て来たことです。
一つ間違えば命のボーダーを超えてしまうギリギリのところで苦しんでもがいていたのだから。。
それに「武勇伝」
父は逃げ切ったという武勇伝。
私は異次元に行ったという武勇伝。
私は記憶の塗り替えをしていた。。
誰にもしゃべってはダメと母に言われてもあちこちでしゃべってた。。あれは。。幼少期でありながら知らないおじちゃんから性被害に遭った事。。
そのままの記憶では耐えられないという自己防御の塗り替えであり、塗り替えた記憶をしっかり定着させるためにはしゃべるしかなかったのです。。
父は記憶の塗り替えこそなかったけれど逃げられなかった現実を認めたくなく、作り替えた話を誰も聞いてもいないのに話すことで、さもそれが本当のように心に蓋をしたのだと思う。
家族なら助けてやりたい。。守ってやりたいと思うのだと想像します。勿論そのためには心が歪んでいないことが大前提かもしれない。。
父が被害に遭った頃の時代を私は生きることは無かったけれど。。
それに私は母親になったことも無いけれど、今の私が祖母に憑依したとしたら真っ先に息子の心のケアをしたいと願うような気がする。
鍼灸の学校の時の経済制裁。。
あれは、父流に言えば「ママの遺言」を守れないなら自分が出来なかった学校を卒業すること。。ぐらいやってのけろ!俺の娘ならという。。つもりで同じ環境を私に用意したのだと思う。。
鍼灸の学校は断念しちゃったけれど、、今私は働きながら父が出来なかった大学の学位取得を目指している。。
私の心を癒すための心理学
父の深層心理を知るための心理学。。
気づいたら、、私は父に対する憎しみも怒りも消えていました。
許すも許さないも無い。。流す感覚を少しづつ身に着けているような気がする。
ここまで父と私の恥赤裸々にかいてきたけれど。。
そうね。。死んだママのルーツの恥。。
これも書かなきゃフェアじゃないわね。。。。パパ