入院生活 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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たくさん勉強できる環境だからと言ってそればかりでもなくなる。。暇だからと言って午後の再放送ドラマばかりを見てもお金の無駄使いになってしまう。。

周りのご婦人たち。。日に1000円以上テレビカードを購入していてお金が無くなったと言っては家族に送ってもらうを繰り返している。。

そんな様をみていて。。

何の気なしにアマゾンプライムを申し込んでみようかと思い立つ。。

膝の手術の時もお世話になった。。

プライム会員代が月に500円で結構楽しめるからだ。。

こんなにレトロな。。昭和か?と思うような病院でフリーWi-Fiなのはうれしい。。

 

早速、観てみた。。コトー診療所??

命の大切さ。。命の軌跡を感じるドラマだが。。

何故か?キレイ過ぎる?現実味がない?そんな感覚が残った。。

いやぁ。。人気の番組だっただけによく作られていると思うのよ。。

 

で、

役所広司さんが出ているから。。と思って

「すばらしき世界」を観てみた。。

私がいつも考えていた人間の平等って?

何が平等なのか?

それは生まれてきたとき、何か1つの課題をもたされているのではないか?ということ。。

その課題によってたどり着く境地が

自己実現なのではないか?という事。。

 

主人公が己の歪んだ人生の軸によってどんどん心にこびりつかせ、生きにくさという抱え込んだものと戦い、苦しむ事は今の私にも共通するものがあって、最後に主人公がそこを乗り越えたと思った瞬間、向こうへ行くことができたというのは。。あまりもすんなりしすぎていて、本来ならもっと行きつ戻りつするのだが、そこは映画!上手く表現できていたように思う。。それこそが「すがらしき世界」なのだと思った。

 

映画は特殊な生きざまの主人公だけを対象とはしていない。。

それぞれ個別性の人生の中でそれぞれに違った角度や違ったシュツエーションの中で実は同じ中心に向かって生きる中でそれぞれが影響しあう事も伝えていたように思う。

 

現代社会にとって非常に大切なモノであり。人間が忘れてしまいがちであり、そうはならないと言い訳をしたがることでもある。。

 

さて。。

主人公が自分のルーツをたどるシーンがあって。。

映画を見終わったあと、今のリアルな自分(私)の現状。。

この。。レトロな昭和臭い病院に何故?私はいるのだろうか?

ここにいて、何故?この映画を観てなるほどふむふむ。。とおもっているのだろうか?と???と同時にある気づきに結びついていく。。

 

このブログでも、何度も登場する

 

「母の遺言」

 

父が言っていた

死んでも魂は生きる

いつも、どんな時も、様々な意味合いで。。

「母の遺言」に反する私の生き方には妨害を企て続けた父。。

 

ある意味。あの時、「月」だけが知っていたあの時、

父は悪魔に心を売り払ってしまったのかもしれない。。

 

散骨に行って船が揺れて手術した部分を骨折したのも、、

今回、ようやく私の仕事がうまく生き始めたこの時期に足を骨折したのも。。

父の仕業???

否。。考えすぎ?でもね。。

夜中睡眠時遊行摂食障害??のつもりで階段を下りたのか?微妙。。

起きた時には骨折していたのだから。。

そう考えれば父のことが絡んでるよね。。

 

ふと。。窓の外を見る。。

 

この景色が歪んであの時の景色に重なる。。

 

母のベッドは窓に向かって左側の窓側だった。。

それは最初は違って入ってすぐの左側。。

こんな感じだった違っていたのは消燈台はこんなに高くなく、ほぼ1mあるかないか?であり、TVは設置されていなかった。

でも、ベッドがね。。昭和49年の頃はこんな感じだった。。

窓側に移った頃には長期入院を覚悟せねばならなかったと思う。。高額療養費制度など無かった時代。。

入院が長引けば長引くほどお金の問題でも父を悩ませていたと思う。。

窓の向こう。。左斜め向こうには遠くに国立第一病院が白くそびえたっていた。。

小野田少尉が日本に帰ってきて国立第一病院に入院されたと聞いて窓の向こうの建物を見入った事を覚えている。。

 

点滴を痛がった母。。

病室を出て左斜めに給湯室がある。。

大きなやかんでお湯を沸かし、蒸しタオルで1分を追いかけた。ゴム手袋でタオルを絞り母の針先の皮膚にそっと置くと1分ほどだけ痛みが取れる。。

お湯を沸かしながらポットに入れて運びながら、、

捨てたお湯のバケツを捨てに行って。。

もう、50年近く昔の事なのに、、

今のこの病院の古さが当時をよみがえらせる。。

そうか。。

そうだ!

母が遺言したのはあの病院の回復室だった。。

 

子どもは親の所有物だと言い切った父。。

「ママの遺言をうらぎりやがったな。」という言葉が耳に残る。

 

あの父の事だ。。もしかしたら

地獄に落ちたとしても考えは曲げず、裏切り者の私を潰しにかかってくるのだと思う。

昔の常識は今の非常識。。

で、その昔の常識自体がひん曲がっているのだから。。

どうにもならない。。

 

やさしさは。。甘さ。。

甘さは緩い。。緩みは空き(スキ)になる。。

 

舵を切るなら、生半可ではだめなのかもしれない。

あの父を相手にするなら、私はもっと冷徹に極端に

情け無用に挑まねばおそらく私の骨は何本あっても足りなくなるほどボキボキに折られるのだろう。。。

 

まぁ。。激情型すぎるかもしれないけれど。。

それが私の親だったことも事実だ。