私が50歳、の時、Kさんがガンで死んで1年経とうとしている頃で、福祉課から連絡をうけて父と再会しました。
その時の父は鬘は卒業。、マネージャーが居なければ役者は出来ない。と言っていた。
Kさんが生きていたら違っていた筈だと言う父は木村元ではなく、西尾芳巳になっていました。
でも、私はこの頭でこの顔で役者をしてほしかったような気がします。
昔、竜飛岬に出ていた出演の最後のシーンの父を観た時そう思ったように。。
にっぽん丸の船長さんが一人旅の父の相手をしてくださったようです。。
決して船長シリーズの役者さんではありません。。(フフフ)
この4年前にはNHKの篤姫に出ていて、更に1年前には風林火山に出ていた。
この2年前には水戸黄門に出ていた。。
チョット信じられない気がします。
父が一番活躍して颯爽と仕事に向かっている頃を私はほとんど知りません。
私の木村元のイメージは悪役俳優をしていた頃の方が心に残っている。
その狭間でテニスの仕事を苦労しながらやっていた事が印象的で、
髪の毛の事をいつも気にしていて。。(ああ、こんな事書いたら怒られるかな?)
こないだから会っていない頃の父の写真を見るにつけ、
何だか「虚」の境地になってしまう。けれど、
「あぁ、これも私の父親だったのだ、」と少し自慢したい気分にも見舞われる。
しかし、この西尾芳巳に戻った父も悪くは無い様な気がする。
やっぱり、この顔で演技してもらいたかったな。。と残念な気分です。
どちらも苦労人の父の部分は立派だと思う。
この旅行の間、私は実家を必死に、拷問の様に掃除して片づけをしたのだけれど、
出航の時、父の部屋のベランダで父は大きなシャンパンボトルを落としそうになりながら、
手をワナワナ振るわせてグラスに注ぎ、私の方に向かって何度も乾杯をしていた。
この時、私は思った。
いつか、遠い先になって父が亡くなった時、この出航の事を思い出すのだろうな。と。。
色々あったけれど、良い親子になれた象徴のような気がした。
しかし、後に。。父は見事に。。裏切ってくれたけれど。。
それもこれも、全部含めて面白い父だったように今は思う。。。
この後。。ハイパーな父にも出会えたし。。
母も昔、私が小学生の時、学校から帰ると家で一人マンボを踊っていた。
父も晩年よく踊っていた。。よく考えたら私も時々誰もいない家でご飯作りながら踊っていたりする。。
うちは踊る一家なのかもしれない。