真言宗のお寺 光明山真言院荘厳寺

 

 

入ってすぐ見えるのは不動堂です。

 

 

不動堂の前にある筆塚

 

 

不動堂

 

 

不動堂の前にある摩尼車には説明文が彫られています。

 

「これは摩尼車というものです。 「摩尼」とは、佛心・菩提心・佛法の宝、あるいはお経の意でみずからの濁った心を澄ましめ災いを去らせる徳があるとされてます。

これを一回まわすとお経を一編唱えたのと同じ功徳が得られると言われております。 心をこめてまわしましょう。」

 

 

 

 

香炉と釣り灯篭

 

 

 

幡ヶ谷不動尊と呼ばれる不動明王像は延享4年(1747年)に多摩郡宅部村(現在の東村山市)三光院から荘厳寺に遷祀されて、江戸時代は江戸近郷の三不動(成田山、光明山、高幡山)として広く尊崇を集めました。

 

 

 

 

 

 

絵馬

 

 

 

不動堂の脇には山門があって

 

 

山門のにある狛犬は宝暦3年(1753/九代将軍家重時代)、四谷若者中が寄進したもので建立されて253年経っていますが目立った傷みもなく良好な保存状態です。

 

 
 

山門の脇には地蔵堂があって

 

 

光明燈には小さな釣鐘が掛かっています。

 

 

 

堂には丸彫の地蔵菩薩立像が祀られていて台石には「智阿学夢童子」とありますが、昭和初期に近くの甲州街道に沿って立っていた石の柱がを道路を拡幅するために移設することになり仮置き場として荘厳寺の門前に置かれていましたが、大勢の子供たちが集まって遊んでいた時に運悪く11才の子どもが石の下敷きになって押しつぶされ亡くなってしまい、気の毒に思った近所の人々が石工に地蔵を彫らせて安置したのがこの智阿地蔵だといいます。

 

 

地蔵像の背後には小さな地蔵像や薬師如来の坐像が並んでいます。

 

 

 

 

山門を入って見えるのは本堂

 

 

山門を入って左に向かう参道には「大東亜戦争本町支部戦歿者」の慰霊之碑があって

 

 

その先に大師堂があります。

 

 

祀られているのは法界定印を結び火炎の光背があるお大師様です。

 

 

 

右に曲がって本堂に向かう短い参道に並んでいるのは

 

 

古い手水鉢

 

 

三面六臂で頭上に馬頭の姿のある馬頭観音

 

 

駒型のような一猿(不言猿)の庚申塔で上部には「奉庚申供養」とあり下部には不言猿が彫られています。

 

 

観音像

 

 

このお寺は御府内八十八ヵ所霊場の第11番札所にあたっていて、坂東・西国・秩父百番観世音の石碑が立っています。

 

 

本尊の薬師如来像を安置した本堂

 

 

 

 

本堂の脇には弘法大師の修行像

 

 

大きな岩の上には不動明王の像

 

 

 

不動明王像の前にある常夜燈は嘉永3年(1850年)に現在の環状六号線と甲州街道の交差点付近建てられたものですが道路工事のためここに移されました。

石中段には幡ヶ谷の荘厳寺、十二社の熊野神社、大宮八幡宮、井の頭弁財天への道のりが刻まれていて道しるべでもあったことがわかります。