目黒区にある めぐろ歴史資料館
通路脇には石碑が立っています。
宿山組道標
寛政11年(1977年)11月に上目黒村の村組である宿山組(上目黒・東山周辺)の5人によって設置された道標で、正面に青面金剛像が刻まれていることから庚申塔と道標を兼ねて造られたものと考えられている。
軍用馬を繋ぎとめるために用いられた花崗岩製の石柱で上部には綱をかける鉄製の環金具が残っている。
資料館の入り口
旧石器時代の人たちが上で火をたいて獲物の肉などを焼いていたたくさんの石を敷きつめた「礫群」 (中目黒遺跡出土)
石器などの展示
注口土器 (縄文時代後期)
縄文時代の人たちが身につかていた装飾品
骨蔵器
碑文石(複製)
自然石の中央に金剛界大日如来(バン)・向かって左に勢至菩薩(サク)・右に観音菩薩(サ)の梵字を刻んでいる。
仁義礼道標
碑文谷村の高林輿七氏によって弘化四年(1847年)に建てられたもので、行き交う道を人の道にたとえた対句が刻まれた珍しい作りになっている。
大日如来像
江戸時代の展示
絵本江戸土産
松亭金水(しょうていきんすい/1792ー1862)の書いた初編の序文によるとすでに出ていた「絵本江戸土産」シリーズの版木が焼失したために菊谷幸三郎(金幸堂)が歌川広重にたのんで新しい名所や名物を加えて作りなおしたものとされている。
江戸方角名所杖
この本は明和六年(1765年)に刊行された「御江戸名所方角書」の本文を名所ごとに分けて大きな字で書かれた地名・絵と六行の文章で一か所ずつ紹介している。
絵本鷹かがみ初編
幕末から明治にかけて活躍した絵師の河鍋洞郁(暁斎)が鷹をテーマに描いた絵をまとめた画集
鷹場高札 享保六年(1721年)
鉄砲を使用する者がいたら申し出ること、「御留場」(鷹場)内で鳥を捕獲している者を捕らえたり見つけた場合は速やかに訴え出ること、訴え出た者には必ず褒美を与えることを記している。
江戸切絵図 目黒白金辺図
農具などが並んで
向かって右から
クワ・ミツマ・ヨツマ・ハバタ
上から
フリコミジョレン・チョッケ・ジョレン
上 天秤棒 / 下 肥柄杓
肥桶
押し切り
洗濯板と盥(たらい)
羽釜
囲炉裏のある室内
囲炉裏には火箸と五徳
火熨斗
中に炭火を入れてその熱で布のしわを伸ばしたり襞をつける道具
手前には針箱、奥には箪笥
櫓炬燵(やぐらごたつ)
置炬燵
火鉢
防火水槽
火災の消火に必要な水を貯えておく容器
炭火アイロン
中に木炭を入れて使う、煙突は煙を逃すためのもの。
2号自動壁掛け式電話機
関東大震災後の復旧を機会に手動交換方式から自動交換方式へ変更する形で登場した国産初のダイヤル式電話機。
3号自動式卓上電話機
昭和8年(1933年)より登場した送話器と受話器が一体となった電話機。
戦時中の展示
軍用手票(軍票)
占領地や勢力下で軍隊が現地での物資調達・その他の支払いのために発行した擬似紙幣。
砂弾(さだん)
中に砂を入れておいて空襲時の消火活動に使用した。
国民服
昭和15年(1940年)に「国民服令」が公布されて男性は背広などの平常服に代わって国防色であるカーキ色(軍服と同じ色)が用いられた国民服の着用が定められた。
家庭用品購入通帳・主要食料購入通帳・米穀通帳
戦時郵便貯金切手(弾丸切手)
昭和17年(1942年)より一枚2円で売り出されて売上金は国際の消化にあてられた。
リコーフレックスカメラⅦ型
昭和29年(1954年)に発売されて二眼レフカメラのブームを巻き起こした。
フジペットカメラ
フジフィルムから昭和32年(1957年)に発売された初心者向けの作りと対価格で人気のあったブローニーサイズ(6×6)のカメラ。
ネオカ35 - K
東京神田旭町にあったといわれるネオカが製作した露出計のない完全マニュアルカメラで距離計もなく距離は目測式。
「Cinemax-8 TRIAUTO シネマックス 昭和」
瓜生精機が昭和35年(1960年)に発売した3本ターレットレンズ付きの8mmカメラで16mm幅のフィルムを使用して撮影機にスプール巻きで充填してフィルムの片側を撮り終わった時点でもう片側を撮影できる様に充填しなおして残りの側を撮影するダブル8フィルムを使用する。
手回し式の計算機
60型自動式卓上電話機
*次週紹介する場所は「目黒寄生虫館」の予定で、寄生虫の標本などがありますのでご注意下さい。