人見街道と中本宿通りの追分(分岐点)にある小さな神社

 

 

 

牟礼古峰神社は牟礼中町会(中組)の住民が祀っている社で、明治中期に古峰原講ができた時に祀られたとのことで

 

 

火防の神様を祀る神社で地元では古峰原様と呼んでいるそうです。

 

 

 

人見街道の向こうに門が見えて

 

 

門と並んで日蓮宗のお寺 高栄山真福寺があります。

 

 

 

 

入ると左手に五重塔があって

 

 

正面の仁王門には仁王像が並んでいます。

 

 

 

 

 

 

仁王門を入ると本堂の左側に七面堂があって

 

 

 

 

七面堂の脇には「釋宮氏」と彫った石碑があります。

 

元禄2年に釈宮氏が諸国巡礼の途中この寺に立ち寄って宿泊したのですが、その夜に持病の咳が悪くなって不幸にもこの世を去りました。

釈宮氏は臨終の間際に「世の中で咳に悩む人があったら、私の後世を弔ってください。そのお礼にきっと治してあげます。 但し、その祈りの時には、必ず私の好きな“こうせん(麦こがし)”を供えてください」と言います。

 

以来、村人は「釈宮氏」を神と崇め「こうせん婆さん」と呼び祈れば安産・子育て・百日咳などに効能があるとして親しまれてきたそうです。

 

 

七面堂の奥には鐘楼があって

 

 

 

本堂には本尊として三宝尊が祀られています。

 

三宝尊(さんぼうそん・さんぽうそん)とは法華宗・日蓮宗の本尊で、仏・法・僧の三宝を祀るための仏像のことです。

 

仏教は元来三宝を尊ぶ宗教ですが日蓮宗・法華宗の各宗派内で三宝尊についての捉え方はまちまちで、釈尊本仏論派の一つの解釈として仏の第一をお釈迦さまとし、法の第一を法華経とし、僧の第一を日蓮聖人とし、三宝のそれぞれの第一を一つの本尊としてまとめたものが三宝尊である、というものです。

 

 

 

 

 

仁王門の脇には休息のための東屋が設けられています。

 

 

 

 

 

少し離れた場所にある牟礼神明神社

 

 

 

 

標高60メートルの高台に位置するこの神明神社は天文6年(1537)北条氏綱の家臣北条冶部少輔綱種(牟礼の高橋家の祖)が深大寺城に対峙し、牟礼の丘陵に築陣して陣内の鎮護のため同年芝飯倉神明宮より分祀してこの地に勧請したといいます。

 

 

 

狛犬

 

 

 

手水舎

 

 

社務所の前の坂を登って拝殿に行けます。

 

 

ご祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)で合祀されているのは倉稲魂命(うかのみたま)です。

 

 

 

拝殿への階段の脇には七夕飾りがあります。

 

 

 

戦役記念碑

 

 

本殿の脇には境内社の三峰神社・榛名神社があります。

 

 

 

 

 

倒壊の恐れがあるのか参道にある石灯籠には補強がしてあります。