街道に面して招き猫の像と猫地蔵霊場の石碑があって
豊島八十八ヶ所霊場24番札所となっている真言宗豊山派のお寺 西光山自性院無量寺 は通称猫寺とも呼ばれていて、豪徳寺・今戸神社ほど知られてはいませんが招き猫発祥の地とも言われています。
境内には猫塚があって
山門の脇には六地蔵と何故か寝ている身代わり地蔵
多くの地蔵尊が並んで
小さな地蔵像も並んでいます。
本堂と猫地蔵堂の復興記念碑
並んであるのは平和観音のお堂
本堂には光明殿の扁額が掛かっています。
本堂の脇には石仏が並んで
子育て地蔵
夫婦・お助け・親子の地蔵
永代・無縁佛供養の癒しの塔
弘法大師の像
稲荷社には細かい彫刻が施されています。
猫地蔵のお堂の前には御詠歌の碑があります。
西光山自性院猫地蔵詠歌
猫形のほとけのちかひありがたや
かつらの里にかをりとどめて
南無地蔵尊南無地蔵尊
西光山自性院猫地蔵和讃
お堂の内部
堂内には秘仏である二体の猫地蔵が祀られていますが、収めた厨子の扉は閉じられて年一回2月3日の節分会に開帳されます。
猫地蔵の謂れ
1477年所有地が隣接する豊島氏と戦になった太田道灌の軍は初戦劣勢の中で夕暮れ時に味方とはぐれた道灌の目の前に一匹の黒猫が現れて道案内をするかのように先に立って歩き出して自性院に導き、ここでなんとか無事に一夜を過ごした道灌は次の日体勢を立て直して見事に大勝利をおさめました。
道灌はこれも全て黒猫のおかげだと感謝して黒猫を大切に飼い、亡くなった後は丁寧に葬って自性院に一体の地蔵尊を奉納したといいます。
もう一体の猫地蔵は太田道灌の黒猫から300年近く経った江戸時代のもので、江戸で豪商の娘として生まれ貞女の誉れ高かった女性が1767年に無くなり死を悲しんだのが寿司屋の弥平という男が貞女の誉れを後世まで伝えたいと顔が猫の猫地蔵を彫って自性院の住職に開眼供養をしてもらい奉納したものです。
堂内には他にも招き猫など多くの猫の像が並んでいます。