京浜急行大師線の港町駅
改札を出ると、この界隈をイメージして作られたという「港町十三番地/美空ひばり」の歌碑があります。
駅から5分ほどの所にある天台宗のお寺 薬王山醫王寺
山門の前には石像が立っています。
入って直ぐにあるのは馬頭観音のお堂
ベンチとテーブルがあって
手水舎には龍がいます。
地蔵尊
前に灯籠が並んだ本堂
十三重塔
塔の脇に「塩解(しおどけ)地蔵」の説明があります。
~ 塩でとけた地蔵さま ~
むかし、橘樹郡(たちばなごおり)久根崎村のあたりで、
できものがはやって村のこどもたちがなんぎしたころという。
いまのようにいいくすりもなく医者もおらず、
こどもたちは「いたいよー、かゆいよー」と泣きじゃくっていた。
ある村人は「地蔵様は、こどもの、みがわりになってくださると
いうことで願かけするべ」と、地蔵様にお清めの塩をこすって願かけしたと。
すると、こどものできものはなおったと。
これをしった親たちはわれもわれもと地蔵様に願かけにきたと。
やがて、村からできものの話はきえたが、
地蔵様は、塩でとけたようにやせほそってしまったと。
それから塩どけ地蔵というのだと。
文・萩坂 昇
お堂の中には溶けたようなお地蔵様があって、塩がお供えしてあります。
鐘楼があって
手前に蟹の話があります。
昔の人は「蟹は水神様のおつかいで幸せをさずけてくださるのじゃ。
いじめてはなりませぬぞ」と、あがめてきました。
~ 背中の赤い蟹 ~
むかし。 川崎宿、久根崎の医王寺の山門をはいった右手に池があり、
そのそばに鐘つき堂があった。
池には、コイ・フナ・クチボソなどがすみ、ほとりには、カニがくらしていた。
魚やカニたちは、寺まいりの人がくだされるたべものを、
なかよくわけあって、のんびりくらしていた。
おなかいっぱいになった魚たちは、かおをのぞかせてはるかにとんでいく、
白サギのむれをながめて「つり鐘さまのおかげじゃ。ありがとう」
といってとびはねていた。
鐘楼に脇には云われを記した「蟹塚」があります。
医王寺に昔から伝わる蟹のお話です。
大火から鐘楼を守ろうと泡を出して火を消し止め自らは甲羅を赤くただれさせ
死んで逝った沢山の蟹達がいました。
此処に功碑を刻み菩提を弔います。
赤蟹達よ 永久に 安らかに 合掌
鐘楼の側にある池の周囲には七福神の像があります。
由来の説明
~ 七福神の由来 ~
旧くは、大自然に生かされている人間が極限の願いを七福神の功徳におすがりし、お救いを賜ろうとする庶民の切実な思いの表れだった。
後年、江戸時代の事、東叡山寛永寺の僧、慈眼大師天海大僧正が徳川家康公の拝謁した折「公は、此の乱世を治める福徳をすべて備えて居られる。」と云い、其々の意の寓する処を各神仙の姿に書き示された。
以来、江戸庶民は公の福徳にあやかろうと競って七福神を信仰する様になった。













































