植物会館前の広場に旗が立って

 

 

 

特別企画展 私は植物の精 ー 牧野富太郎 ー が開かれています。

 

 

 

窓際には「牧野富太郎 ゆかりの植物」が並んで

 

 

バイカオウレン キンポウゲ科

 

早春に白いがく片が目立つ可憐な花を咲かせる。

牧野富太郎は幼少のころから親しんだこの花を懐かしみ、故郷の佐川町から東大泉の自宅に取り寄せた。

 

 

マルバマンネングサ ベンケイソウ科

 

牧野富太郎が故郷の佐川で採集した標本をもとに、ロシアの植物学舎マキシモヴィッチが「牧野」の名をとり、makinoi と学名をつけ新種として発表した。

 

 

ヤマトグサ アカネ科

 

牧野富太郎が発見し、大久保三郎と連盟で『植物学雑誌』に学名と和名を発表した。

日本の学術雑誌によって初めて日本人が学名をつけた記念すべき植物 ヤマトグサ(大和草)のヤマトとは日本のことである。

 

 

ムジナモとタヌキモ

 

 

ムジナモ モウセンゴケ科

 

珍しい食虫植物で、牧野富太郎が東京郊外の小岩村にて日本で初めて発見し和名をつけた。

牧野富太郎が描いた詳細な植物図は稀な開花の様子も描かれており、ドイツの植物学者エングラーの世界的な分類書にも掲載された。

 
 

タヌキモ

 

小さな袋でミジンコなどを吸い込んで捕まえる食虫植物で、牧野富太郎が学名と和名をつけた(ゲノム解析により現在はイヌタヌキモとオオタヌキモの雑種と判明)

 

 

ジョロウホトトギス ユリ科

 

牧野富太郎が高知県の横倉山で発見し、上品な花を宮中の貴婦人である上臈(じょうろう)に例えてこの名前をつけた。

牧野富太郎は『日本植物志図篇』で最初にこの植物を取り上げた。

 

 

サダソウ コショウ科

 

牧野富太郎が本種を高知県の戸島で採集し、熱帯アジアに分布する種類と同一であると考え、和名をシマゴショウとした。

後に新種とし、和名をサダソウとして発表した。

和名は産地の佐多岬(鹿児島)にちなむ。

 

 

ノジギク イネ科

 

牧野富太郎が高知県の仁淀川沿いの路傍で発見し、後に命名した。

牧野富太郎はこれを中国に分布する種類と同一のイエギク(栽培菊)の原種と考えていた。

現在は日本固有の野菊の一種とされている。

 

 

スエコザサ イネ科

 

牧野富太郎が新種のササに妻、寿衛への感謝を込め Sasa  suwekoana  Makino  と命名、和名をスエコザサと発表した(現在はアズマザサの変種とされる。

寿衛の墓碑には牧野富太郎の句が刻まれている。

 

家守りし妻の恵みやわが学び

世の中のあらん限りやスエコ笹

 

 

 

タチバナ ミカン科

 

暖地の海岸に近い山地に稀に自生する。

 

牧野富太郎が当初ダイダイの変種として学名をつけた。

当園のタチバナは平安京御所紫宸殿の「右近の橘」の孫にあたる。

 

 

 

キンモクセイ モクセイ科

 

中国原産で、秋にオレンジ色の花をつけ芳香を放つ。

東京大学小石川植物園にあった株をもとに牧野富太郎がギンモクセイの変種として発表した。

 

 
 

タマノカンアオイ ウマノスズクサ科

 

多摩丘陵に自生する本種を牧野富太郎が命名した。

牧野富太郎はこの仲間のサカワサイシン、タイリンアオイ、アマギカンアオイなども命名している。

 

 

ラショウモンカズラ シソ科

 

牧野富太郎が学名をつけた。

 

和名は紫色の萼が筒状の花を渡辺綱が羅生門で切り落とした鬼女の腕に見立てたものとされる。

 

 

ケイビラン クサアスギカズラ科

 

ロシアの植物学舎マキシモウヴィッチが江戸で得た栽培品から学名をつけ、後に牧野富太郎が固有の属として発表した(現在は別の属名が使われている)。

ケイビラン(鶏尾蘭)の名は、葉の形が雄鶏の尾羽に似ることによる。

 

 

ハキダメギク キク科

 

熱帯アメリカ原産の帰化植物。

初めて見つかった場所が世田谷の掃き溜め(ゴミ置場)であったことから、牧野富太郎がハキダメギクと名づけた。

 

 

 

ワルナスビ ナス科

 

北アメリカ原産の帰化植物。

牧野富太郎が千葉県三里塚で見つけ、珍しいと思って東京の自宅に植えたところ、はびこって駆除しようにもできず、この始末の悪い草に「悪マスビ」と名づけた。

 
 
 

部屋の中央部分はパネルでの展示になっていて

 

 

 

壁際には書物などが展示されています。

 

 

日本高山植物圖譜第一巻、第二巻 1908年 発行

 

 

日本植物志圖篇 第一巻 第八集 1891年 発行

 

 

植物研究雑誌 第5巻(第2号)

 

牧野富太郎が1916年に創刊した学術雑誌で現在も The Journal of Japanese Botany として発行されている。

 

 

植物九十年  1956年 発行

 

 

新世紀教科業書 普通教育 植物学教科書

 

 

原色少年植物圖鑑  1953年 発行

 

 

新改訂学生版 牧野日本植物図鑑 1974年 発行

 

 

牧野日本植物圖鑑(初版) 1940年 発行

 

日本の植物の全てを明らかにしようと志した牧野富太郎の代表的著作。

昭和15年(1940)の発行時は78歳であった。

初版第1刷は5.000部でシリアル番号が付されていた。

その後増刷を重ね、増補、改訂を経て現在も刊行が続く。

 

 

大日本植物志

 

牧野富太郎が「一生を捧げるつもり」で取り組んだ記念的著作。

東京帝国大学理科大学(現 東京大学)の刊行で明治33年(1900)から10年余り、第1巻・第1集~第4集の4冊で中断となった。

 

精緻を極めた植物図と完璧な記載文で海外からも高い評価を受けた。

特に植物図は「牧野式植物図」の完成形であり、植物図の最高峰といえる。

その特徴は単に写実ではなく植物の形質を知り尽くした」うえで典型的な姿を描き出し、部分図や解剖図を用いながらその植物の全体像を描ききっていること、細部まで妥協のない描写と特注の蒔絵筆によるブレ「のない線描も他に例」を見ない。

 
 
 
 
 

植物採集の道具など

 

 

根掘り

 

植物の根などを掘り起こすために牧野富太郎が考案した。

 

 

胴乱

 

 

野冊

 

竹製で腊葉標本(さくようひょうほん)を作るために植物を新聞紙とともに野冊に挟んで持ち帰る。

 

 

腊葉(押し葉)標本の例

 

 

 

 

復刻版の本なども展示されています。

 

 

牧野万葉植物図鑑 2022年発行

 

 

新分類 牧野日本植物図鑑 2017年発行

 

(牧野富太郎 原著)

 

 

復刻版 牧野日本植物圖鑑 (初版) 1977年発行