ビルの谷間にある細い階段
神田川にかかる「かんだふれあいばし」と云う歩行者のための橋です。
橋の上から「柳森神社」が見えます。
橋を渡って社殿の横を過ぎると鳥居の左右には奉納された囲いがあります。
鳥居を潜った階段の横には神社の周辺に存在した富士講の名残を今日に伝える石碑群があります。
手水舎を過ぎると「福寿神」の額がある鳥居があって
鳥居の左右には特徴的な狛狸様が鎮座しています。
鳥居を潜って左手にあるのが倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)を御祭神とする本殿で軒下には 東松下町 柳幸会 の名前の入った額がかかっています。
そして鳥居を潜った正面にあるのは 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の御祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)。
左右に並んで境内舎があって
明徳稲荷神社、御祭神は宇気母智神(うけもちのかみ)。
防火鎮守の神様、秋葉大神 御祭神は迦具土神(かぐつちのかみ)。
小さな池の向こうにあるのは左右に龍の像が並んだ龍神様、水神厳島大明神・江島大明神。
伊弉冉命(いざなみのみこと)・稚産霊命(わくむすひのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・誉田別命(ほんたわけのみこと)を御祭神とする幸神社(さいのかみのやしろ)。
柳森神社で一番有名な福寿神祠、御祭神は 福寿神(徳川桂昌院殿)通称「おたぬきさま」は、八百屋の娘が春日局に見込まれて三代将軍家光公の側室となって五代将軍綱吉公の御生母となった桂昌院によって江戸城内に「福寿いなり」と称して創建され、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいして大奥のお女中衆に崇拝され、明治二年の現在の柳森神社に合祀されて開運・所願成就の福寿神として信奉されているとの事です。
境内にある力石群は大正年間(1912~1926)力士として有名であった神田川徳蔵(飯田徳蔵)とその一派が使った石の一部で、彼らの業績を記念して後世に伝えるために集められたもので1989年(平成元年)に千代田区指定文化財になっています。






































