三井高利が江戸日本橋に越後屋を創業して以来の菩提寺で、俗に三井寺とも称される天羅山養善院真盛寺の石碑

 

 

 

参道の先に山門があって

 

 

入ると広い境内です。

 

 

境内には多くの石仏があって

 

 

 

 

 

 

如意輪観音の石仏群

 

 

 

 

墓地への道にも石仏があります。

 

 

 

鐘楼の脇にはこの地に移転する以前の安永5年に本堂を飾っていたと言う鬼瓦が飾ってあって

 

 

 

「天羅山」の額の懸かった本堂の前方には聖観音座像と井戸があります。

 

 

 

 

 

 

 

門前に「釜寺」と彫った石碑が立っていて

 

 

元禄の頃、田村屋敷の脇門で浅野内匠頭が切腹の折に通ったと言う、浄土宗の寺念仏山東運寺の山門があります。

 

 

境内に入ると、竹林の前に石仏と石塔があって

 

 

 

 

石段を登ると本堂があります。

 

 

 

本堂の額の横には身代り地蔵尊の詠歌の額が掛かっています。

 

 

 

本堂の屋根の上にあるのは山椒太夫に釜ゆでにされそうになった厨子王を「身代り地蔵尊」がお坊さんの姿になって助けたという言い伝えにちなんで置いたと言われる「釜」があって、これが通称「釜寺」と呼ばれる由来です。

 

 

 

して本堂の横には子育ての地蔵堂があります。