土器などの展示がつづいて

 

 

採集狩猟民の土器

 

 

水田稲作民の生活用具・祭祀具

 

高坏(たかつき)・注口土器

 

 

籠目付壺 弥生前期併行(紀元前4世紀)

 

 

土偶(紀元前4世紀)

 

 

銅鐸

 

 

叩いて鳴らしてみる事の出来る銅鐸

 

 

高床建物やシカが描かれた土器・木で作った人形(木偶)

 

 

高床倉庫と最古のイエネコと考えられる成猫と子猫

 

 

 

様々な土偶

 

 

土偶形容器 弥生中期併行(紀元前3世紀)

 

 

人面土器

 

 

 

展示は「倭の登場」へとつづいて

 

 

弥生と縄文の女性

 

 

後漢書東夷伝

 

 

盾持人形埴輪 (複製)

 

 

金銅製龍文透彫帯金具(大韓民国)

 

 

金銅製冠(大韓民国)

 

 

王の館とみられる家形埴輪

 

 

人物埴輪 女子

 

 

 

人物埴輪 男子

 

 

金銅製剣菱形座金具付鈴 古墳後期(6世紀)

 

 

船形埴輪 古墳中期(5世紀)

 

 

須弥山石(しゅみせんせき)

 

須弥山とは古代インドの世界観の中で中心にそびえる山で、全体の形や山の浮き彫りがあるところから須弥山石と呼ばれ、中間の石は下の石と直接にはつながらずに間にもうひとつあったと推測され、庭園にともなう噴水施設の一部とされています。

 

 

奈良県飛鳥池遺跡で行われていたと思われる作業

 

 

ガラス工房

 

多数のガラス片と共にガラスを溶かした坩堝(るつぼ)や鞴(ふいご)の羽口が見つかっており、ガラス製品をつくっていたことがわかります。

 

 

切金細工工房

 

金・銀・銅の切片が多数出土していて細かな切金細工もここでおこなわれたことがわかり、仏像や寺院の飾金具などがつくられたと思われます。

 

 

富本銭工房

 

富本銭の未完成品や鋳型、青銅を溶かした坩堝などが見つかっており、出土した枝錢の形態から一度に多数の銭が鋳造さてたことが分かります。

 

 

古代集落の模型 (千葉県村上遺跡)

 

印旛沼の南、現在の千葉県でみつかった奈良・平安時代の大規模な集落遺跡群。

模型はその中の村上込の内遺跡のⅤ期(9世紀後半)を再現したものです。

 

 

 

多賀城模型

 

 

正倉院

 

奈良東大寺大仏殿の北西にある東大寺の倉庫で西武天皇や光明皇后にゆかりのある品だけでなく東大寺造営の役所が管理した文書や文法具も残っています。

北倉・中倉・南倉の三つの区画に分かれ、北倉と南倉が校倉造りで、中倉が板倉で現在は宮内庁正倉院事務所が管理してユネスコの世界遺産にも登録されています。

 

 

写経生(しゃきょうせい)の道具

 

写経生には手本の経典と硯・水入れ・修正用の刀子(とうず)・写経用紙・墨・筆・浄衣・作業用の机・円座などが支給され、写経用紙には吸い取り紙としての下纏(したまき)を重ね端継(はしつぎ)とよばれる白紙を仮軸につなげて使用しました。

 
 

巨岩を信仰の対象とする沖ノ島祭祀はまず巨岩上で神祭をおこなう岩上祭祀からはじまりました。

 

 

 

 

 

 

千葉県佐倉市にある 国立歴史民俗博物館

 

 

 

エントランスには大きな摸型があります。

 

東福寺三門模型

 

臨済宗東福寺派総本山の三門(三解脱門)で、応永32年(1425)頃に再建され、桁行(間口)が5間、戸口が3箇所ある五間三戸の二重門で、両脇には二会の上り口となる山廊が付属します。

 

 

根来寺多宝塔模型

 

空海が高野山に建てた根本大塔に倣ったものといい、普通の多宝塔とは違って下重が方五間で内部には円形の柱列があり、平面円形の一重塔(宝塔)に裳階をつけて多宝塔としたことがよくわかります。

 
 

入口を入ると

 

 

第一展示室(先史・古代)

 

 

約4万年前の南関東の風景の中にナウマンゾウがいて

 

 

沖縄の旧石器時代の人骨が立っています。

 

 

古代の石器が並んで

 

 

隆帯文土器(りゅうたいもんどき)

 

 

日本列島最古の土偶

 

縄文時代草創期(約13000年前)

 

 

石槍をつくっている風景

 

 

毛皮をなめす女性と縫い物をする女の子が会話をする風景

 

 

 

古代の人と土偶が並んで

 

 

土偶 縄文のビーナス

 

 

ハート形土偶

 

 

遮光器土偶

 

 

さらに土器が並んで

 

 

円筒上層式土器(深鉢)

 

 

馬高式土器(深鉢)

 

 

阿高式土器(深鉢)

 

 

縄文時代の食料

 

 

 

縄文時代の衣服(想像・復元)

 

 

縄文犬(復元)

 

 

森県三内丸山遺跡の復元家屋

 

 

 

続いて土偶が並んで

 

 

縄文中期の土偶 (複製)

 

 

山形土偶 (複製)

 

 

縄文後期の土偶 (複製)

 

 

異形土偶 (複製)

 

 

縄文後期の土偶 (複製)

 

 

土偶 縄文の女神 (複製)

 

 

縄文後期の土偶 (複製)

 

 

 

みみずく土偶 (複製)

 

 

大型土偶

 

 

出産の様子をうつした土器

 

縄文の人びとは土器を女性の身体に見立てて祀り生命の再生を祈願しました。

これは出産の様子を描いた土器をつくったり、子どもの遺体を土器に入れて埋葬したことからも分かります。

 

 

 

多数合葬・複葬例 (茨城県中妻貝塚)

 

中妻貝塚からは103体もの人骨が埋葬された特殊な墓が見つかっています。

これらの人骨は一度埋葬された遺体を意図的に再び寄せ集めたもので合同で葬ることによって祖霊祭祀の際のモニュメントとされたと考えられています。

 

 

 
*以前に訪問した千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」の展示の模様です。
 
 展示室が1〜6までありますので、途中に別のものを挟みながら6回に分けて掲載します。
 

武蔵野市の吉祥寺駅前から続くアーケード街 サンロード

 

 

その端近くに 曹洞宗のお寺 雲洞山天暁院月窓寺の竜宮門があります。

 

竜宮門というのは楼門の一種で1階部分が漆喰塗籠めの袴腰になっている中国・明朝の建築様式を取り入れた形の門を言い、浦島太郎の絵本で竜宮城の城門として描かれていたりもします。

 

 

 

 

門の内側の壁の左右には仁王像の浮き彫りがあって

 

 

 

境内に入ると正面に本堂があって、左右にはお掃除小僧や小屋の石像があります。

 

 

 

 

石灯籠の向こうに見えるのは受付の吉祥閣

 

サンロードやハモニカ横丁など吉祥寺の多くの土地の所有者は月窓寺で吉祥寺の発展にも貢献していて、宗教法人の納税番付では1位の創価学会・2位の明治神宮に続いて3位の座にあるといいます。

 

 

 

本尊の釈迦牟尼佛像を安置した本堂の柱には彫刻があって木魚が吊ってあります。

 

 

 

 

 

 

市指定文化財の乾漆造白衣観音坐像を安置した観音堂

 

 

その横にあるのは一般に 西遊記 で知られる 玄奘三蔵法師 の像

 

 

 

周囲を石仏が囲み上には慈母観音像が坐った萬霊塔

 

 

 

 

 

 

墓地の向こうには吉祥寺の街並みが見えます。

 

 

 

 

サンロードを出て五日市街道沿いにある浄土宗のお寺 月秀山井ノ頭院光専寺

 

 

 

本尊の阿弥陀如来像が安置された本堂には、他に吉祥寺開村からおよそ30~40年後にあたる享保年間(1700年頃)にこの地で疫病が流行り、当時の住職が子ども達の延命を願い亡くなった子ども達の供養もかねて箪笥(タンス)を改造した御厨子に地蔵尊を納めて巡礼をしたという伝承があ箪笥地蔵という地蔵尊が安置されているそうです。

 

 

 

本堂の左手前にあるお堂には中央に不動明王その隣に大黒様(大黒天)が祀られています。

 

 

 

 

 

 

本堂脇の墓地へと続く道には護国地蔵尊・馬頭観音・延命地蔵尊などがが並んで

 

 

 

 

 

 

その先には水子地蔵尊があって、周りには赤子を模した小さな子どもの顔をしたかわいらしい地蔵や人形お供え物などが並んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地蔵尊の前の供えられている一つだけ白い紙の上に乗った36個の白い石には どんな想いが込められているのでしょうか・・・