威霊赫赫という姿とは
今日は僕の誕生日
出来たら 高尾山の火渡り 行きたかったな~
コロナのバカ―
ちなみに手前で火の中歩いているのは 僕 です
天狗で有名な高尾山薬王院のご本尊
飯綱大権現
どんなお姿かというと
薬王院の中興の祖といわれる俊源大徳師が
高尾山に入山し10万枚の護摩修行をした時のこと
夢の中に異様な姿をした阿修羅明王が現れ、自分の姿を彫刻し広く衆生を救えとの声があったという。
そこで目が醒めた俊源は、夢で見た明王の姿を具象化しようと念願したがなかなか思うように果たせない。
そんな時、一人の異奇な人がやって来て、自分が彫刻をしてあげようと言い、7日、人里離れた西の谷の奥へ篭った。やがて像は完成し、再び現れ俊源に像を手渡し消えたという。あまりに「威霊赫赫」とした正視に耐えぬ出来映えだったので、山頂の一角に祠を建て安置したという。それが今の奥之院である。俊源はこれを飯縄権現として高尾山の鎮守にしたという。
~高尾山Hpより参照~
正視できないぐらい 熱を帯びた神気を発するお姿とはどんな姿だったのか気になるなあ~
戦国時代の武将には、その物凄い霊験から厚く信仰され
武田信玄は、飯縄大権現の小像を懐中して、守護神としたそうで
山形県上杉神社に遺される上杉謙信の兜の前立には、飯縄大権現がどーーーん
これは創作レプリカですけどね
どうやら阿修羅明王から~不動明王~さらには
飯縄権現の本地仏は勝軍地蔵となっていたようで、そのことから戦勝を呼ぶ神とされたようで
勝軍地蔵=愛宕権現なので
直江兼続の有名な兜の愛は愛宕権現ということはこれも飯綱大権現とも言えますね
飯綱権現に関する最古の史料
室町時代の戸隠山顕光寺流記(并序)には
「吾は是れ、日本第三の天狗なり。願わくは此の山の傍らに侍し、権現の慈風に当たりて三熱の苦を脱するを得ん。須らく仁祠の玉台に列すべし。当山の鎮守と為らん」
ここでは日本第三の天狗と自ら言っている
どうやら飯綱権現は十人の王子の三番目なので第三の天狗を称したということになっているようで
ちなみに四男は富士山にいるそうですよ
当時 高尾山の奥の祠に祀られた
威霊赫赫な姿とはどんなだったのかな
威霊とは
あまりにも強力な霊力 神威という意味だし
赫赫とはその力が力強くまるで光り輝くように強調し形容する言葉
見てみたいなあ~