外的な運命と内的な運命について | 奥様はサラリーマン(イクメン主夫のブログ)

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独立心だけは強い、元うつ病のダメ男と、理系エンジニアのしっかり女が結婚したら、意外とうまくいった?
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こんにチラ。

先日、僕の友達がfacebookで、ヘッセの「春の嵐」の一部を紹介しておりました。

嵐
ちょうど、起こった事実は変えられないが、解釈は変えられる という記事を書いた時で、基本的に伝えたいことは同じだと思います。

ま、名文と駄文の大きな違いは置いといて(汗)。

ああ、ヘッセも辛い経験を経て、この小説を書くに至ったのだな、と感じました。

こんな文章です。


自分の一生を外部から回顧してみると、特に幸福には見えない。しかし、迷いは多かったけれど不幸だったとはなおさらいえない。あまりに幸不幸をとやかく言うのは、結局全く愚かしいことである。なぜなら、私の一生の最も不幸な時でも、それを捨ててしまうことは、すべての楽しかったときを捨てるよりもつらく思われるのだから。避けがたい運命を自覚を持って甘受し、良いことも悪いことも十分味わいつくし、外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、人間生活の肝要時だとすれば、私の一生は貧しくも悪くもなかった。外的な運命は、避けがたく神意のままに、私の上をすべての人の上と同様に通り過ぎて行ったとしても、私の内的な運命は私自身が作ったものであり、その甘さ苦さはわたしの分にふさわしいものであり、それに対してはわたしひとりで責任を負おうと思うのである。



僕はまだ読んだことがないのですが、この冒頭の文から想像できるとおり、幸せについて考えさせるストーリーのようです。

訳文も素晴らしいですが、さすがノーベル賞作家ですよね。
文章が光ってます。

まず注目したいのは以下の文。


「外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、人間生活の肝要時」


そうそう、そうなんですよ!ヘッセさん!!!
僕も幼少時からの「幸せ探しオタク」として、ヘッセさんと酒を酌み交わしたくなりました w


僕も以前の駄文で、こう書いています。

事実は変えられないけれど、その意味するところ・・・解釈は変えられるのです。


ここでいう事実とは、ヘッセのいう「外的な運命」。

解釈とは、「内的な運命」に相当します。


そうかそうか、外的な運命。内的な運命。
次からそう表現することにします(笑)


そして最後の文章。

「私の内的な運命は私自身が作ったものであり(中略)、それに対してはわたしひとりで責任を負おうと思うのである。」


本当にそのとおりで、人生を幸せにするためには

内的な運命をコントロールし、自分の人生は全て自分の責任である、とコミットメントすることが重要なのです。