明治カナカナ
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遊んで

後輩と部室でゲームで遊ぶ。自分の好きなジャンルのものを一緒に楽しめる人間がいるというのは非常に嬉しいものである。



そして、8時間後に始まる実習に備えて今から寝るのである。

京都

京都はとても寒くて、今日は最低が5℃らしい。たまったもんじゃぁないね。



実習に行って、部の活動に参加して…

残りの活動回数は三回である。

そういうわけで

そういうわけで、一年がたち、僕の代が運営として学祭を取り仕切る年がやってきた。


悲しい、とても悲しい。大好きだった後輩や部室との関係が、OBになることで少しずつこれから薄まっていくのが泣きそうなくらい悲しい。



最近はいつも泣きそうなのです。

つるべ落としの秋の日に僕はため息をつきつつ、幼稚園だか保育園だかの時の、夕日のなか母と歩いていた記憶を思い起こしてしまうのです。



あぁ、時間がこのままとまってくれれば!このまま今までの10分の1の早さですすんでくれれば!!


学祭

京都大学の学祭が始まる。November Festival、NFだね。

『神戸在住』の、学祭のシーン。あのお祭り騒ぎの中にも必ず生じてる、暇なような、気だるい時間に綺麗に焦点が合っている。

そういう学祭を去年、同じような雰囲気で、すごした。


去年似顔絵を描いた人は、今どうしているだろう。今年も来てくれるのかな。


大切な大切な、人生の一ページが、始まろうとしている。

ストレート

前髪を縮毛矯正をした。

さらっさらになった。


やってもらった後鏡見て、雰囲気イケメンになれるかも、と思った。


外出て風に吹かれて家に帰ったら、鏡が現実を教えてくれた。てか汗かいてしまってすこし曲がってしまった。悲しい。


上手く切ってもらったからか、他の髪も気持ち真っ直ぐになってる。ドライヤーのかけ方が重要らしい。つむじんとこ真っ直ぐ上に持ち上げて伸ばすようにブォアーーーって。後ろから前へ。


あとはワックスでボリュームださなきゃ。


服より髪にお金かけた方が、パッと見の印象が良くなる、というのは本当だったみたいだ。

風邪

病気になったら、健康のありがたみが分かるとかいうけれど、風邪になった位じゃあまり思わない。というか、これもまぁレギュラーイベントのひとつだろ位なかんじ。


きついけど、なんかこう、やることが単に増えたっていうような感じでもある。



量的なあれでアクエリアス買ったけど、ポカリスエットの方が美味しいと思う。

夜更かししたら

風邪をひいたり、病気になって、家で一人でいるときにもう会えない人との別れとか、そういうことを思い出すと、まず間違いなくどごーっと悲しくなる。


そうなるの分かってるから、もう意図的に考えないようにしないと、危ない。寝ちまえばいい。



風邪気味だ。

おうた

ドヤ感なく歌を上手く歌おうとするのは意外と難しいんことだと思った


鍋の季節だ。


同じ労力でも、好きな人のために何かを作るのは全く苦にならないし、そうでなければ面倒くさいだけの、作業になるね。

なまし

音楽ききよったら、今この瞬間が人生におけるエンドロールになってて、エンディングが流れよるって感じだとしても別におかしくはないって思って、無性に寂しくなる。ぱふーむとか聴いてるとくっそ楽しいかくっそ泣きそうになるかのどっちか

同じような絵ばっかりしか描けないのはつまらない。誰とも一緒にいないと時に孤独を感じるけど、一緒の時の方が感じる孤独は強くなるよね。他の人はどうして絵を描くんだろう。疲れって加速する。

絵描いても楽しくはならないと思って描いたらそんなことはなかったので、無理にでも元気だそうとしたら効果のある対処法を見つけたけれど、でも、数少ない頼れる何かが、効果を失ってるかもしれないって事の確認にもなるのはちょっと時間と勇気いる。

思ったけど中学の頃って、高尾に会うまではいつも俺なんだか寂しかったんだと思う。年取って、自分ってものを一定の客観性をもちつつ意識してると、人と人の出会からの親密性の発展って、難しくなっていくように思う。自分が別に「誰」でもいいネットの掲示板だと今度はラジカルになっていく

生きるの疲れるくない?


もっともっと死が身近で、そこらかしこにあるけど悲しむ人は少ないし平和、って世界は、人が生物としてその繁栄と存続をDNAレベルで渇望している限り地球上にはあらわれんのやろうな。
でも、命が生まれた瞬間から、努力せずに好きな命が好きなだけ繁栄出来る世界だったら、きっと人間は存在しなかったやろうな。
生命が、蔓延る死を回避しようとして変化し続けた結果の一つがヒトだとしたら、人間が人間のまま、死を恐れないしその存在を忌避しなくなる存在になるのは不可能ってことだろう。

死へと向かうのにかかる手間のあっというまさとか気軽さに比べて、生きて成長して様々なことを身につけることの、なんと煩雑で根気の要ること!

誰もが生まれて自我を持った瞬間から、肉体が成人化して、記憶と技術がどこからかダウンロードできるような世界なら、気軽な命になれるのかしらん。誰の生命の始まりだって、単なる性行為と受精だけどでも、それが簡単にできるのは、それが出来るようになるまでにやたら大変な諸々の努力とかエネルギー、時間がかかるからだと思う。

でも試験管でも受精は可能になったわけやなー

大人になるのにエネルギーと時間がかかりすぎるのがネックやな。

気軽に死んだりできる世界ってなんやろ。でも死んだらそこでおわりやしな。誰かの代わりに誰かがいるとしたら、誰かが気軽に、生と死のうちの死を選べるような状況なんて、いくらなんでも誰もやりたくないだろう。きっと現実の世界はそういう状況でも、死ぬという選択肢を本能或いは社会的、或いは教育によって選びづらくしてるから回ってるんだと思う。仕事上手くいかねー、勉強楽しくねー、おもんねー、→「死のう♪」とかだと、世界の進展はないし、退化していくんやろう。

えーマジで人間生きないといけねーのかー。「死ぬほど」贅沢な悩みやな-。多分今まで種として抱えてきた悩みで最も贅沢な悩みやな。「生きないといけない」なんてのは。物理的にはいつだって死のうと思えば死ねるのに!贅沢きわまりない!

先輩

自分の大学の上の方の人達の、色んな話をブログや本人から聞いていると本当に凄いと思う。技術や思想や学問や研究、生き方のエッジの、一番端のほうにいる。

社会に出ているにせよ、まだ学生であるにしろ、そうした方々の言葉や生活を聞いていると全く違う世界を感じてしまう。同じ学部のたったいくつか上の先輩の話ですらそう。

子供の頃は、大人は大人の世界のなかの存在で、でもそれすらも自分の世界の淡ある登場人物で、世界は自分の見えて手の届く範囲のことだったのだけれど、こう年齢を重ねていくと若輩ながらそれでも広大で深淵な世界もおぼろげに見えてくる。

その細部や実際のところ、掘り下げて開拓していく風景はとても自分の目にはまだ現実として見えていだろうし、本当に同じ所属なのか不安になる。それで先輩方が自分と同じ時に何をしていたか聞いても、なんにもしてなかったなぁ~なんて平気な顔の答えが返ってきたりする。

高校までなんか、世界というモノに今以上に全然触れてなかったし、それに気づいてもいなかったけれど、今ちらちらと垣間見える世界からは期待と少しと不安をどっしり感じてしまう。

みんな一体どうやって今生きているんだろう。