川口駅の個別指導塾【個太郎塾川口教室】 講師のまつもとです | 個太郎塾 川口教室 のブログ

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個太郎塾 川口教室のブログです。教室長やスタッフで、教室での出来事や教育に関する話などを更新していきます! 

注) このブログ記事は元々、夏の講師が交代でブログを書いていた頃に下書きされていたものです。

    なぜかこの時期に掲載されることとなりました。不思議ですね。

    気が付いたら、私が好きなカーリングの試合もたくさん見れてました。不思議ですね。

 

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 人間は自然のうちでも最も弱い、ひと茎の葦(あし)にすぎない。
しかしそれは考える葦である。
これを押しつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。
風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。
しかし、宇宙がこれを押しつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であるであろう。
なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。
宇宙はそれについては何も知らない。
 それゆえ、我々のあらゆる尊厳は思考のうちに存する。
我々が立ち上がらなければならないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空間や時間からではない。
それゆえ、我々はよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根原がある。

 ※『Pensee』(ブレーズ・パスカル) より抜粋。
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…ちなみに葦とは、主に河川に生育する、このような植物です。

(撮影:まつもと)

有名な書の一説を引用していたら、挨拶が遅れました。
今回のブログは私、講師のまつもとが担当させてもらいます。名前を平仮名にしてるのは、人にメール送るときの癖です。他意はありません。バトンが回ってきたんだから、バトンが回ってこなかったけれども、仕方ないね。どんでん返し、私のターン、です。

 

さて、記事はじめに引用した、哲学者でもあり自然科学者でもあるパスカルによって書かれた文章ですが、人によって解釈が様々あります。
便利なこの時代、目の前にある四角い箱をすこーし弄れば、パスカルの意図したかったことについて、多くの人による様々な解釈が探せます。
…ある人は、
『風が吹くと、葦は"しなる"が、あえて自ら"しなる"ことで、完全に折れて死ぬことを回避できるし、時間がたてば立ち直る。
 一方で木々は、風に勝つか、折れるかしかできない。
 この葦のように、逆境の中で負けたように見えても、時間がたてば立ち直れるのが人間の強みである。』
と解釈し、
…またある人は、
『人間は、広大な宇宙に比べれば限りなく無に近いが、思索することで宇宙を"包む"ことができる、大きな存在である。
 この思索こそに、人間の尊厳があり、また思索こそが偉大さである。』
と解釈しています。
うーん、哲学ですね。

しかし私は、そんな深みを気にすることはなく、もっとざっくりと、
『考えなければ人間ではない。
 只の、中身の少ない葦でしかない。』
と解釈しています。
(ちなみに葦は茎の内部が空洞で、換気を行える植物です。植物の換気についての生理生態学的な意義を書きたいですが、本題からそれるので割愛させてもらいます…。
 何が言いたいかというと、「葦」になることを受け入れる、ということは、「中身の少ない」ということを受け入れる、ということと同義である、ということが言いたいのです。考えない「葦」は、唯の中身のない植物でしかないです。せめて考える努力をしてください。

 …ということです。)
たとえば、この前の土曜日に行われた国立大学の入試の一部として使わている、先月の中旬に行われたセンター試験は(数学や一部の設問を除いて)4択・5択問題です。
これらの全ての設問に対して鉛筆を転がして解答を求めることは、考えることの放棄であり、最早『人間』ではないと考えています。
そんなことは、単純なプログラムでもできることです。むしろプログラムを組んで、プログラムに実行させてください。
 

何が言いたいかと言いますと、人間が人間たる所以である思索能力を日々積極的に使っていくことこそが重要である、ということが言いたいのです。運に頼るのはやめてください。そうなったら葦でしかありません。入試でガチャはやめてください。やはりガチャは悪い文明。

また、日本では「理学博士」などと呼ばれることのある「Ph.D」ですが、言葉の意味をそのままに解釈すると、「哲学博士」という意味になるそうです。詰まる所、おそらくこのブログを読んでいる皆さんやその血縁者が目指している大学の、更にその最終到着地点は「哲学」になるのです。
「哲学」とは、簡単に解釈するならば「現象を考察する」学問であります。「考える」必要があるのです。
そのことも考慮すると、大学を目指しているのならば、いずれは「考える葦」に成らざるを得ない時が来るのではないでしょうか。
考えることは単純で誰にでも出来ることですが、その考える力の上限は、各人が生きてきた中で行われてきた考察の量にある程度は比例するのではないかと考えています。なんとなくで生きてきた人は、突然に考える必要性が出た時に、意外と考えることが出来ないものです。実体験です。

この記事を読んでくれた皆さんが、一瞬でも多く「考える葦」を通り越して「人間」になってくれることを期待しています。
変わらなければ、やがて朽ちてく。ですよ

 








とまぁ、ここまで文章を書きましたが、有名な書物から一節を引用して、それについて考えを述べてお終い!

…だなんて、私の生き方に合わないので、ここからは違うお話でもしようかなぁと。

英語の勉強をするときに、単語を覚えるのが面倒だという生徒が多数見られます。私も嫌いです。
そこで、少しでも多くの単語を楽に覚えるために、心がけると良い点を幾つか・・・
 ①関連する単語、派生する単語は繋げて覚える
 ②カタカナ言葉として流布している言葉は、そのイメージで覚えてみる
 ③歌の中に出てくる言葉を、ネットで検索してみる
 ④ゲームで出てくる技名や地名を、ネットで検索してみる
 ⑤海外のゲームをやってみる
下2つは、ゲームを推奨してしまうという、塾としていいのか?って感じのアドバイスですが、割と効果的なんじゃないかなぁー、と考えています。ちなみに私は、テーブルゲーム・電子ゲーム問わず、ゲームが好きです。

特に、⑤は英文のカタマリ(句や文節)を学ぶのにも効果的です。
これらのことを心がけるだけで、見違えるように英語の単語を覚えられるようになります。たぶん。個人差はありますけどね。

長文が苦手な人は、主語と述語、目的語を意識し、それに加えて接続詞や関係代名詞・関係副詞が何を繋いでいるのかを意識すると、だいぶ変わると思います。特に接続詞は、何と何が結ばれているのかを認識する訓練をしてみてください。
日本語に変換できなくとも、英語の文章の雰囲気は掴めるかと思います。ちなみに私は、英語のイメージだけ頭に浮かんできて、日本語に変換できないとかいう事態が稀にあります。

どうせ大学に入ったのならば、学部にもよりますが、英語論文を読む機会は生まれるのですから。早い段階から、英文には慣れておいた方が良いですよ。ほんとに。苦労しますよ。


あと違うお話。
頼れる人はいっぱい作っておいて、可能な限り楽をして生きることが出来るようにしましょう。正当な手段での「ズル」ができるような環境を作っておくと、色々と便利です。文系志望なら理系の、理系志望なら文系の友人を作っておくと良いのではないでしょうか。
真っ当に生きるのもいいですが、たまにはズルしましょう。常に真っ当に生きると疲れますよ。とてもしんどくなりますよ。
目の前の四角い箱なども、可能な限り有効活用してあげましょう。それも有効なズルです。

ズルする理論つながりで、もう一つ。
計算は楽にやりましょう。
最終的に求めたいことを頭に入れて、約分できる所とか、かけて10になる部分とかがあるなら、そこから手を付けましょう。
頭から順番にやって、大きな数の掛け算をして、更にそれを割るなんて必要は、別にないんです。あるとしたら、四則演算のルールだけです。



…と、メモ帳で下書きしてからWordで文字数数えてみたら、2000文字オーバーはありました。修正したので、多少前後してるかもしれませんが、長くてしんどいので、もうやめます。
ここまで真面目に、一言一句を飛ばすことなく読んでくれた方がいたのならば、それはとても嬉しいことです。
真ん中を飛ばしてここに来た方、ある意味で正しい生き方してると思います。

最期にまとめを:
 ①常に考えることを心がけて
 ②日常と勉強とを結びつけて
 ③楽して生きるように

 ④肇ちゃんかわいい

この記事が皆さんにとって、何かしらか良いことの起こるキッカケとなりますように。

 

以上です。終わりにします。闇ん飲ませっ!!

まつもと