かつての日本映画の素晴らしさを知ってもうすぐ20年。きっかけはTSUTAYAで借りた小津安二郎先生の作品だった。1960代に活躍した映画監督シリーズを皮切りに、小津先生の他には、成瀬巳喜男、溝口健二、黒澤明と行ったメジャーどころを皮切りにして、常に情報をとるというわけでもなく、執心することもなく、ミニシアターの情報をたまたま目にして面白そうと思えば観に行き、最近では市川雷蔵という稀有な俳優と出会うことになり、雷蔵が出演する作品ばかり観るようになった。また最近は借りるのではなくもっぱら買うことにしている。

さて、昨日買った「妖僧」を鑑賞。1963年製作、監督は衣笠貞之助。もともと女形俳優として活躍していたが、監督に転身すると日本文学を映画化しながら日本独特の美意識を追究していく。だいぶ前に書いたのだが泉鏡花原作の「歌行灯」は衣笠の作品。さて、本作品は3000日以上の修行を経て不思議な法力を得た道鏡が世に出て様々な奇跡を顕わしたところから、朝廷に召されて女帝(孝謙、称徳天皇)の病を救ったことから女帝の寵愛を受けることとなるが行の道ではおよそ思いもしなかったであろう愛欲の心に苦しむ、というモチーフである。どんなに長く修行してもこの道はダメなのね。このあたりは以前観た「安珍と清姫」と似ている。安珍と清姫は妖僧の3年前に作られているので雷蔵の役作りに生かされたと推察した。

まあそれにしても女帝を演ずる藤由紀子。まだこんな美しい女優がいたんですね。「白い巨塔」で有名な田宮二郎に嫁いでわずか5年、23才で引退したが続けていれば若尾文子と双璧になっただろうと思うと惜しまれる。

史実と重ねてみると孝謙皇太后の病気平癒と仲麻呂の乱は出てくるが、宇佐八幡神託事件は描かれておらず、ほぼほぼ道鏡と女帝の結びつきにしぼられている。女帝の愛情を受け入れることに躊躇して苦しむ道鏡だが、やがてふたりは夫婦の契りを交わすこととなる。しかしそのために道鏡は法力を失う。その後女帝は胸の病をわずらい、道鏡の必死の御祈願にもかかわらず、亡くなる。後ろ盾を失った道鏡は藤原氏の一派に襲われ、2回刀で刺されて倒れるが、この時は法力を取り戻したのか、蘇生して必死に女帝の寝所までたどりつき、未来永劫女帝に連れ従うと誓い、そこで果てる。「安珍と清姫」の時は逃げに逃げた雷蔵だったが本作品では自らの心を捧げた女性のために自らの行者としての立場も捨て命をかけてまで尽くしきる役を演じている。


めずらしく長髪で現れた雷蔵の姿が白黒のコントラストと色気を引きたたせるメイクでまた美しいし、奈良時代の宮廷を模したセットもしっくりくる。音楽は妖僧と言うテーマを意識すぎたせいか不思議ワールドを強調しすぎかな。まあこの辺りは大映映画の味だと言ってしまえばそれまでなのだけどね。