昨日の稽古は浮沈と半開半向の型稽古をひたすらやった。できたこともあったが、できないのだということをひたすら味わった時間が長かった、流儀はとにかく厳しい。100か0しかない。どんなに鍛錬しようとできないものはできない。そんなことを改めて思い知る。いずれにせよ一つ一つ丁寧に稽古することだと思う。いい加減なことはしない。結果にとらわれずに自分が信じる新陰流の流儀に従うだけだと思う。
頭はわかっているのにできないことに苦しんだ時期は通り過ぎて今は教わったことをしっかりとやり切れているかどうかを見つめながら、自分の中でもさまざまな工夫をしなくてはいけない。
上達には工夫が必要、とずっと師から言われ続けてきたが今まで本当に意欲を持って工夫したことはなかったと思う。
幸いなことに新陰流に対する執着の心は持続している。なんとしてでも手にしたいと思うならどんなにできなくても恥ずかしい思いをしようとも、苦しい思いをしようとも、自ら流儀としっかりと向き合いながら流儀に従える自分になれるよう努力工夫したいと思う。