家の外に出たら今日もやっぱり暑い。が、曇りがちで陽射しがささないせいか汗がかけない中途半端な暑さである。
水滸伝は中国では「白話文学」といって簡単に言えば日常生活で使う言葉で書かれたものである。それまでの中国では何を書くにせよ、やれこの形式、やれこの言葉を使え、やれ韻を踏め、とかあれこれしばられていたのだろう。それが唐宋の時代になって漢詩の世界では李白とか杜甫とか、欧陽脩やら蘇軾やら唐宋八大家なんていう人たちが現れる中で少しずつ方向性が変わっていったのかな、と想像している。誰かか知らないが作られた物語はやがて一般の庶民にも口伝えに広まってやがて仕事の合間にみんなで集まっては誰かが話す物語に耳を傾けてはつかの間の楽しみと安らぎを味わうようにもなった。
日本で言うと落語とか講談なんていうジャンルになるのだろうけど、いわゆる「語る」ということには以前から興味を持っている。演劇も言ってしまえば同類なのだろうけど、我々人間が語らずにはいられない、ぜひ語りたい言葉というものがあってそのことを意識して書いているなあ、と思える作品に出会うと本当に心が洗われる気になる。泉鏡花とか中里介山、チェーホフもドストエフスキーも、映画だと小津安二郎も今まで出会ってきた作家の作品の中には言葉の力というものがふつふつと宿っていてぜひ声にして発する機会が作れればと願っている。それかな声に出さないとわからないことがあると思う。
社会科の勉強にかまけているとどうしても文学や映画に触れる機会は少なくなるのだけどYoutube文学朗読チャンネルっていう構想は前からあってずっと何もやらずにほっといているが、パソコンも新調することにしたのでまずは実験的なところからでもやっていこうかな、と思っているのでよろしくお願いいたします。