引き続き昨日の社会史授業について振り返る。


高校2年生と日本史授業。お題は平治の乱。普通なら藤原氏の院近臣の権力争いの中で源氏と平氏が双方に別れて戦った、ぐらいの説明で過ぎて行くのだがそうはいかず、後白河天皇と二条天皇の関係、二条天皇の生母が出産後急死したため、美福門院が二条天皇を育てたという事実などを紹介する。保元の乱で美福門院が後白河を推した理由も見えてくる。あの手にこの手。美福門院のしたたかな策謀に触れることで後白河も政界とは何かを学んだのだろうか?


このような教科書に載っていない新しい情報を提示しながらなぜ後白河が天皇親政ではなく自らの院政に舵をとったかを生徒と一緒に考えていった。自らの母、待賢門院は美福門院のために出家の道を選ぶこととなった。本来なら歌舞の世界、民衆の世界と関わり続けるのが本望だったはずの後白河がそれを犠牲にしてまで政界に止まることを選択したのは母を追い落とした美福門院への復讐心か?それとも。。。


このような答えのない問いを考えて行く授業を最近は続けている。平治の乱で藤原信頼が清盛の熊野詣でのタイミングで後白河らを幽閉するクーデータを起こしたがその後信頼は京に帰参するであろう清盛とどのように渡り合うつもりだったのか?という議論では生徒から清盛と話し合うつもりだった、という意見が出た。では何をエサに交渉するつもりか?荘園か、知行か、官職か?このように歴史の登場人物の身になって具体的に考えて行くのが私流「演劇的日本史」である。生徒からも信西がなぜ自殺したのかという問いが出てきた。自ら問いを立てられたのは素晴らしい。次回の課題である。


それにしても平清盛、後白河は私としては日本史における大有名人だと思っていたが、生徒にとってはぜんぜんそんなことはなく、そりゃ孝謙天皇ならなおさらだわ、と妙に納得する。


時間があれば人物史というジャンルもやりたいけどさすがにそこまでの時間がないのが悩ましい。