仮面のことに少し触れて、前回のブログは終わったが、そのつづきをそこはかとなく、書いてみる。
仮面ということについて、特に知識があるわけでもないのだけど、最初に言葉として触れたのは、俳優の師である、渡部朋彦さんのワークショップだった。人間は仮面をつけて生きている。当時の僕がかぶっていた仮面は、よっぽど息苦しかったようで、とにかく外したい、そんな思いで感情解放やリピテーションのトレーニングをやっていた。そんな体験もあってからか、仮面をかぶるということは、世の中に従属するような、なんとなくネガティヴなこととして、僕の中に長い間置かれていたような気がする。
しかし、よくよく考えてみると、仮面を完全に外して生きることは難しいし、そもそも、全ての仮面を外すという概念自体がないのではないか。仮面は無限に存在するのだ。俳優の役も、複合的な仮面ではないか。
舞踏を始めてから、お面というモノ、いわゆる小道具だが、たびたび見かけたり、たまにだが、身につけることになった。正直明確な変化を感じたことはないけど、お面との交流を通じて、お面のキャラクターに自分が変化するということがあるのだろうか。会社でも、怒りをこらえざるを得ない時に、怒りのお面をかぶって表現できたら、ユーモラスだな笑
一方、お面は、恐ろしさもある。岡本綺堂の修善寺物語という作品では、面作者、夜叉王が、何度作っても、死相のあるお面しか作れず、悩むが、それは将軍頼家の死を暗示していたという話。俳優の世界でも、役作りに没頭するあまり、役という仮面に食われてしまうこともある。
日常生活でも舞台でも、自由に仮面をかぶったり、外して、別の仮面をかぶったりしたいなあ、と思う。息苦しくなったら、迷わず脱ぎ捨てて、別の仮面を探す。快適な方がいいに決まってる。まだ書き足りない気がするが、とりあえずここまで。