生活を立て直すために、先日、実家に戻ってきました。都市圏から若干離れるのですが、仕事で、都内に出るのはそんなに苦になりません。サラリーマンをやっていれば、安定した収入が入ってきて、ひとりぐらしも楽なのですが、昨年から今年にかけてしばらく満足に働けない期間があったし、一人暮らしすると、どうしても自堕落になってしまう性も手伝っての結果です。まあここまでくると、自分の性も笑うしかないのですが、逆にいうと、自分に選んだ道にまだまだ覚悟が足らず、自分が進む軸がしっかりしていなかったのかもしれません。実家は、ひとりぐらしに比べて、環境は雲泥の差です。どうあろうと支えてくれる両親に心から感謝をして、今まで以上に強い覚悟を決めて、やると決めたことをやるだけです。

中でも、この夏頑張りたいのは、執筆と読書です。執筆の方は、興味を持てる題材が見つからず、滞っていましたが、自分の今までの心の動きを書くだけでも、形になるのではないか?と思います。哲学、文学と出会った時の心のときめき、今の劇団の芝居を観たときの衝撃、サラリーマンをしながら、俳優のトレーニングをうけていたときの熱い気持ち。。。昔書いた日記には、自分の心の動きがかなり克明に描かれていて、我ながらあとから読んで、かなり面白い内容なのですが、日記から掘り起こした題材を、今の自分の目で見て、加工していけば、何かができるかも。世界は、自分が思っている以上に広く、世界を規定するのは、自分の精神活動次第だということ。夢、希望、自由というものも、おそらく、精神活動の内容いかんにかかわることだということを、書くことを通じて探究したいですね。最近読んでいるヘーゲルの精神哲学の本でも、精神と自然との関係が描かれていますが、精神が自然と矛盾して葛藤していく中で、精神が高次の存在に近づいていく過程が興味深いです。内容は平易とは言えないですが、思ったよりは読みやすく、のめりこんでしまいます。「精神現象学」における弁証論の研究も含めて、この夏のドイツ哲学探究はヘーゲルで終わってしまうかも。が、できればマルクスや社会学関連の書物にも手を出したいところ。

池袋の図書館で借りた「ロシア革命」の書籍は期待外れでした。事実の羅列だけで、教科書を読んでいるみたいでした。出来事の流れを知るのは重要ですが、文章から、ロマノフ王朝の専制王政とはどういうものだったのか、専制王政がもたらした様々な影響力、抑圧された民衆の反発心を読み取れる描写が少ない気がしたのは残念です。ブレヒトが書いた、パリ・コミューンがあった頃のフランスを描いた「コミューンの日々」をこの前読みましたが、革命的な出来事が起こった時の人間模様がよく書かれていました。ロシア革命当時の小説や戯曲も交えて、研究していくと、より面白いかもしれませんね。それにしても、ロシアの資料は、やはりあまり多くない。とりあえず読めるものは片っ端から読むか。

昨日、誕生日でした。朝からたくさんの人からお祝いのメッセージを頂き、仕事の仲間も、仕事の後、飲み屋で祝ってくれました。飲みすぎてしまったのは玉に傷ですが、ぼくも、俳優という仕事をはじめて、いろいろな世界を渡り歩くうちに、たくさんの友人ができたんだな、と思いました。友人からのメッセージで、人間としての僕についていきたいといってくれる人がいてうれしかった。自堕落になるのも、どうも自分は孤独だと思い込みすぎていたせいかもしれないなあとしみじみ思う。今までは、どうせ自分なんて理解してくれる人はいないと、はっきりいえばいじけていた。もちろん、100%分かり合える人はいないと思う。しかし、自分も自分のことがどれだけわかっているというのだろうか?もしかしたら、自分が意識していない自分の性質を他人は知っている、ということもありうるのではないか?飛躍しすぎかもしれないが、、普段周りにいる人から自分を知ることができる。日々、自分の中にある様々な精神を明確な理念を含む言葉にしていく作業が必要だと思う。言葉にすることで、精神の有限性を知ることができる。有限性を知ることで逆に精神の無限を知るのだという。ブレヒトの言った哲学的な演劇ということにもつながる作業だと思う。最終的には、作品や役の中にある精神性を、明確な言葉にし、自分自身の精神性とリンクさせることだ。今日はここまで。