昨日は、両国のシアターXで、私が所属している東京ノーヴイ・レパートリーシアターとゆかりがある、韓国のMIRレパートリーシアターによる、チェーホフの「アンクル・ワーニャ」を観ました。日本で言うと「ワーニャおじさん」ですね。この作品は、途中でピストル騒ぎこそありますが、淡々と流れて行くので、油断していると眠りそうになるくらい(失礼)ですが、このお芝居を見ると、生活とは、なんとたくさんの愛にあふれていることか、といつも思います。最後のソーニャの言葉は、いつも泣けてきて、何があっても生きていこう、すべてはうまくいっているのだと、力をもらうんです。
チェーホフ祭のパンフレット作りをお手伝いしながら、チェーホフは、作品を通じて、伝えたかったことって、何だろうと気になってました。もちろん、作品ごとに、いろいろなテーマがあると思うのですが、いつも共通して流れている何かがあるのではないか。思い切っていってしまいますと、やっぱり愛だと思うのです。ほんとうは傷ついているのに、みんなの前では、笑った顔をして、さんざん悪態をついて、怒って、でもやっぱり寂しくて泣く。たとえば、お芝居の中で、こんな人を見つけると、誰かとつながりたいんだな、そして自分もそうだなと、思わず感じ入ってしまいます。
現代は孤独の時代だという人がいます。しかし、そんなことは、ことさら言うまでもなく、どんな時代においても、人間はどこまでも行ってもやっぱり孤独です。孤独のつらさや寂しさは、情熱的恋愛でも、仕事への熱中、将来の夢への熱望、友人との熱狂でも決して埋められないと思うのです。
ですから、チェーホフは、つながりたいとする心を受け入れつつ、誰かを愛するとか愛されるといった関係を越えて、今、自分という存在を通して現れる愛そのものをもっと冷静に見つめなさいと言っている気がするのです。
下北沢から愛を。チェーホフから愛を。