ひらめきの言葉をたくさんくれる、巫女のような夫婦と下北沢で出会ったこと。
友人から、書く事をもっとやった方がいいとアドバイスをもらった。
芸術監督から「私がありがとうっていってるのに、あなたはいつもありがとうって
言わないね」って、冗談混じりながら指摘されたこと。
「ロシア女性は愛の言葉に弱い」という広告を観たこと。
ひらめいたこと。
あなたは子供の時のように無邪気に言葉を信じ、愛しなさい、
ということだった。
昔から言葉は好きだった。幼稚園に入る前から、新聞や英語の文字を読み、
小学生の時には、シナリオを書いていたらしい。
吉川英治の小説に夢中になって、文学館を訪ねた。
時はたった。ほとんど本を読まなかった高校、大学。
学生時代の反省から、当初、ビジネス本が中心だったが、20代後半から、
突如哲学や文学の書籍を乱読した社会人。
今は俳優という立ち位置にいて、読むことはもはや日々の習慣。
書くこともインターネットを通じて発信する。たまに個人的な日記も記す。
今も、書くことも読むことも好きであるとはいえる。
しかし、いつからだろうか、手放しで、言葉を愛せなくなっていたのだ。
それは
言葉でいくら言っても、人に伝わらず、さみしい思いをした自分があった
言葉でうまく表せなくて、もどかしくて苦しんでいた自分があった
書いた言葉に苦言を呈されて、落ち込んでいた自分があった
氾濫する、心ない言葉、言葉、言葉・・・傷つき、怒りに震えた自分があった
言葉で何が伝わるだろうか
それでも一人ノートにわめきちらした日々
自分を救う言葉はないか
答えを求めて必死で本にかじりついた日々
言葉の中に自分はあるのだろうか
言葉への疑いが日々増すばかりの日々
今ふと思うこと
僕の言葉が未熟であることも知っている
言葉が万能ではないことも知っている
それでも僕は言葉で伝えなくてはならない
他人がくれる言葉から僕はどれだけ助けられていることか
そして自分の言葉で癒される人がいることも知った
テキストだけでだめなら歌や芝居にのせてみよう
そんな仲間たちと今僕はつながっている
すべて表せなくてもかまわない
僕が言葉を求められて、僕が言葉を求め続ける限り
僕は言葉を愛する
えーとそれでは・・・まずは女性を口説く文句からと・・・・うん???
おあとがよろしいようで・・