芹沢光治良先生の読書会に参加しました。作品は「運命」という作品で、第一次世界大戦後のフランスで暮らす日本人たちと彼らを取り巻く環境について書かれた作品です。発表されたのが、太平洋戦争終戦まもないころということで、敗戦に至った遠因として、当時の日本という国、また、日本人の性質を暗に批判するような精神が感じられました。中には、現在の日本にも、未だに通じるのではと思える批判もあって、興味深かったですね。ただ、自分自身の読後録は、周りの方に、やや批判的に受け止められてしまった気がします。まとまっていなかったのもありますが、擁護したい点と批判したい点を明確にして、話すべきでしたね。次回はばっちりまとめて臨みます。また、他の方の読後談を聞くことで、作品を深く知ることができました。例えば、ある方は、文章中に頻出される言葉に着目されていました。後で、読み返してみると、主題の読解のために、大変重要な箇所が含まれていました。基本的なことかもしれませんが、作家が何度も同じ語句を使用するということは、それなりの意味があるということですね。今後も、この読書会に参加したり、著書を読み進んでいくことで、文学、ひいてはモラリスト文学の真髄について学んでいくつもりです。
合唱サークルの活動では、北川昇の「シャーガルの木の葉」とルネッサンスの曲を練習しています。「シャーガルの木の葉」は、何箇所か音がとりづらいところがあります。他のメンバーに言わせると、「和音の転回が複雑だから、和音や直前の旋律を感じて」ということ(のよう)ですが、和音について知識が浅い僕には、ちょっと難儀な所。音楽って、やはり耳も大事だななんて思っていたところ、思わぬところからヒントが。読書会の帰り道の音楽学校のポスターの「ソルフェージュ」という言葉。今日調べてみたら、簡単に言うと、耳の訓練のことをいうようです。一人で訓練するのは難しいので、今週のレッスンで先生に相談するつもり。ルネッサンスの曲は、音程はまずまず?ですが、複雑なリズム、テンポの速さに対応するのが課題。とにかく歌って慣れるしかないです。ここ最近、音楽については、少し慣れてきたのか、ややマンネリというか、実践、理論ともに、基礎がおろそかになりつつあるので、再び基礎を大事にすることを心がけていたいと考えています。また、いい演奏を聴いたり、新しい理論を勉強したりして、刺激も受けたいところですが、さて、そこまで可能かどうか?
ブログに文章を書く暇がないほど、一日が早く過ぎていきます。そんなことをいいながら、実際書きはじめると、かなりの長文になっちゃいましたが。時間がいくらあっても足らないほど、したいことがある。先日、三十を迎えました。振り返ると、大きな犠牲を払った二十代でした。しかし、今の心境をつかめたことに、今は心から感謝しなければと思いたい。青春とは、年齢にかかわらず、血が沸き立つような心を持つことを指すではないのでしょうか。同時に、今が、人生の大きな転機になるだろうなあと予感しながら、毎日を過ごしています。