事情により、現在、自宅でネットを利用できないため、ブログ更新が滞っております。先月から、ブログ作成を細々と再開したわけですが、ブログに書くことの意味をあらためて考えます。ブログに書くことは、自分以外の外部に伝わるわけですから、自分以外の人が読んだとき、興味や意味を感じるものでないと、わざわざ、公の空間に出す意味なんてないんですよね。日記や自分が思うことであれば、本来、日記帳で十分ですからね。自分の生活から、ブログのネタを考えると、本当にありふれたことしかかけない。文才がないせいか、生活が地味なのか、余裕がないせいか、わかりませんけど、人に語るような物語はそうそうないですよ。たとえ書けたとしても、ブログにするかは別問題だし、かなりの脚色が入るでしょうね。そんなこと言ってると、何にもかけなくなりそうだけど、表現って、それなりの緊張感って必要だと思いますよ。何も出来ない自分が偉そうだけどね。リアルな場のことを考えたらわかるけど、表現って、とても怖いものですよ。芸術とか、大げさなことじゃなくて、普段のコミュニケーションを考えたらわかるでしょ。例えば、会社とか学校とか。毎日続く人間関係を考えると、表現することに、過敏にならざるをえないよね。それが、このインターネットという空間だと、「いいたい事をいってよい」とみんな思ってしまう。そんなこと、あるわけないんですよね。やっぱり、すでに暗黙のルールはあるはずだし、今後、明文化していく必要があると思う。「インターネット憲法」なんていうのができてもおかしくない。それくらい、インターネットの存在が大きくなっているのが、現代でしょう。電車の中で、携帯で、ネットゲームやったり、SNS見たりしている人、よく見かけますものね。ちょっと話が横道にそれたけど、インターネットでコミュニケーションが完結される世の中になったら、正直恐ろしいよね。数メートルしか離れていないので、携帯メールで話す・・・とか。インターネットを介したコミュニケーションの方が痛みは少ないはずなんですよ。生の人間の姿が見えないし、自分が属す空間が嫌になれば離れればいいしね。でも、そんな環境の中での表現がほんとに「自己表現」たりうるのか?まあ、自己表現というのがあるのかどうかは置いておくとしても、表現は、他人の視線を意識することが大事だよ。僕も何度か、コンサートで音楽を通して、他人と通じることのできる舞台を少ないながらも経験しているけど、緊張や練習不足のせいで、自分の演奏の事しか考えられないこともまだまだ多い。でも、今思うと、それこそが、本当の自分なんじゃねえの?と妙に納得できたりする。僕は、音楽でいえば、他人という存在を意識しながら、演奏することが今の目標である。だから自分は何をしなくてはならないのか、どうあるべきなのか?って考えていく。これは、なかなか難しい。普段から舞台に立っているわけではないから、なかなかリアルにならない。そう考えると、今は、レッスンの先生の存在が大きいと思う。とても熱心に教えていただいているので、少しでも上達して、教えていただいたことを表現していきたいという思いでやっている。いつもうまくいくわけじゃないし、最近、教わることが高度になって、伸び悩みも少し感じるけど、今の段階を乗り超えれば、自分の実力との向上とともに、先生との音楽を通じた関係のなかにも、新しい何かが生まれるように思う。これが他人と関わることの醍醐味だよな。そう考えると、仮想空間上で、見えないつながりを持っても、正直、あまり意味が無い気がするわ。いや、体験談的にいうと、ないことはないか・・・?うん、いろいろ考える事ができて、有意義だった。ところで、今後、ブログで何書こうか?コレがさらに疑問だわ。。。。