コメント、ありがとうございます。無二の友人だからこそわかる自分を言葉にしてもらい、うれしく思います。最近、ひたすら目の前のことを追いかけながら、合間をぬって飲んでいる感じですが笑正直、自分を見つめ直す時間がとれないのです。毎日、つきあっている自分のことさえ、うまく話せないのはもどかしいのですが、今話すと嘘になってしまう気がするのです。もう少し落ち着いたらお話できるかもしれませんが、今は日々思うことを書くことで精一杯。でも、今プライベートで取り組んでいることには嘘はないと確信しています。仕事は嘘だらけです笑
さて、「若葉」ですが、また読み直しました。うーん、一言で言って、読みがかなり浅かったですね。家族が、失明した叔父の面倒を敬遠する視点をもう少し理解しながら読むべきでした。主人公の女学生の叔父への恋慕に似た思いにばかり目をとられて、家族の視点を「冷たい」の一言で片付けてしまいました。戦傷者は最初は「名誉の戦傷」とかいって、もてはやされるでしょうが、時間がたてば、かえって近所から腫れ物を見るような目で厄介者扱いされることもあったでしょう。また、目の不自由な人間の面倒を見ていくというのは、いうまでもなく経済面・生活面で大変な負担です。作中でも、叔父は、将来の生計を自らたてるために、失明軍人専門の職業訓練学校に行くのです。ましてや戦局いよいよ激しくなりつつある折、気の毒だということだけで、おいそれと面倒を引き受けるわけにはいかないというのが、大人の事情なのかもしれません。この現実、真実を理解してこそ、女学生の心情というものをもっと深く理解できるのではないでしょうか。いうまでもなく、女学生には大人の事情ましては世の中のことなど、まだわからないのです。ただただ、叔父さんが可哀想でならない。なんとか救ってあげて欲しい。そんな心の美しさ。若葉という言葉はその象徴なのでしょう。逆に、大人の事情がわかっていながら、ただただ可哀想というのでは少し気味が悪いです。あ、昔の俺か。もう少し考えてみたいですね。相対する考えもしっかりと読み取っておくべきだと実感。叔父の立場についても同時に考えながらと思いましたが、感情移入しきれませんでした。一読で、複数の人の心情に感情移入するなんて、ほとんど天才ですよね。僕は普通のひとなのでもう何度か読みます。