恨み。妬み。蔑み。そんなものは持っていないと言い張っても確実に自分の中に存在する邪悪なもの。消し去りたくとも消し去れないこの感情は時に自分を激しく狂わせる。でも「だから自分は弱い人間」だとは絶対に言いたくない。むしろそんな自分の邪悪さを認めて、それでも精神性を高めていくことを怠らない、そんな人間でありたいものだ。ただ一方で、精神の営みを「自分」の中で完結出来るものでは決してない。自分が今ここにあることは、自分以外の存在があるからこそだと、最近強く考える。自分を叱咤激励して引っ張ってくれるメンター。自分についてきてくれる後輩。黙って僕のことを見てくれている先輩、友人、家族。逆に僕をあまり好意的には見ていない人たち。人以外にも、地球の他生命・環境・風景・天候、そして宇宙。それら「世界」との巡り合わせが精神の営みを動かしていく。それを、僕たち人間は「生きている」と呼ぶのだろう。世界は、常に僕が思っている以上の広さと深さを持ち合わせる。決して「私」と同一化しない存在。追いかけるのは無謀だとわかっていても、それでも追いかけずには入られない。僕は、世界と対話し続けたい。いささか大げさな文章になってしまったが、夢想家にはふさわしい文章かもしれない。自分の精神の深層をさらに掘り下げていくことも怠らず、今日も生きる。