ずいぶん、ブログの更新が滞ってしまいました。お久しぶりです。何分遅筆なもので、時間が十分とれないとだめなようです。そういえば、堀江被告も、本日久しぶりに、公の場に現れました。あの世間を揺るがした大事件も今年の1月ですか。なぜか今年の事件とは思えないほど、ずいぶん昔のことのように感じてなりません。それにしても、テレビで報道されている彼の弁明を聞けば、拘置所での生活はいったい何だったかのかと思えてなりません。やっぱり拘置所を出たときの謝罪は演技だったんですかね。また彼をとりまく周辺の動きからも、ある種の醜さを感じてなりません。この国に真実を追う風土は無くなりかけていることが伝わってきます。真実という概念が消え去るようで怖い気がします。かくいう私も、真実という言葉には、日々翻弄されます。真実という概念は幻想ではないかと疑い、時には、目の前が暗く閉ざされることもあります。しかし、不条理・不運、社会、他人、またそれに伴う自らへの疑念といったネガティブなことに翻弄されながらも、それでも真実を追うことを人はあきらめてはならないと思います。それが生きる力となり、生きるという意志につながるようです。創作への意欲も、生きる意思があるからこそ、生命が自ら躍動して、湧き出るものであって、創作したいという意思だけでは難しい気がしております。実は、昨日読んだニーチェの「力への意思」の一説の受け売りなのですが、その一説が、妙に自分にとっては腑に落ちて、救われた気がしました。このことで何かが変わるほど生きることは甘いものではないのですが、知を愛することは、捨てられない気がしております。