数年ぶりに朝飯を家で作って食べています。おかずはありあわせのものですが、お米が味わって食べるには十分です。食事が難しくなりすぎている気がしますね。普段の食事は質素でシンプルなものでいいと思います。豪華なものはたまに食べれは十分です。


☆横尾忠則主演「東京泥棒日記」

Gyaoで配信されていた1970年ごろの映画です。横尾忠則には、春の展覧会で彼の書いたポスターという形で出会いました。衝撃を受けました。形式的に上手に描ける作家は他にもいるかもしれない。ただ、彼のポスターを見ていると、不思議な笑いがこみ上げてくるのです。世の中を嘲け笑うようなそんな笑い。横尾忠則ってどんな人間なんだろう。ずっと思っていたさなか、Gyaoの番組表から見つけて、気づいたらplayボタンを押していた。そんなところです。横尾は自分の予想していたのに近い顔でしたね。顔はいいとはいえないけど、女がほっとかない、独自の雰囲気を持った男。思ったより優男でした。

性をテーマとした映画です。昭和50年代生まれの私は、ストーリーを追って楽しむというより、制作に携わった人間たちの挑戦を観察して、その自由さにただただ「すげえ」って驚いていました。世代ギャップのせいなのか、正直理解できない部分もありました。いや、途中から「性とは何か、彼らは何を言いたいのか」という答えを探すのがアホらしくなってきたのかも。映画という映像芸術の中に、文章、討論、音楽、舞台芸術など、様々な表現方法が出現します。今風の言葉であらわすならクロスメディアとでもいったところですね。興味深い表現方法ですね。現代にもこのような「ごった煮」表現法があってもいい気がするけど。「その場ですぐに答えは出ないかもしれないけど、そのうちあとでわかってくるよ」みたいな。現代は、作り手側もそれを受ける側も、表現する意味とか、答えを出したり、理解することに性急すぎるのかもしれません。だから、この頃のような「ごった煮表現」が出てこないのかあって私は思いました。現代の方が経済的にははるかに豊かなはずなのに、表現が貧困というのは、おかしな話ですけどね。この世界は生きてきた世代によって、様々な感覚を得る映画だと思います。横尾忠則に少しでも興味がある人、唐十郎のへんてこな歌を聞きたい人、1970代に興味がある人はとにかく見てみましょう。あと、横尾忠則が手にする書籍には注目です。私はフランスのジャン・ジュネとバタイヤに目がつき、早速Amazonで注文してしまいましたw