昨日、読売ジャイアンツのことをこのブログでけなしたら、なんと、我が阪神タイガース、手負いの相手に連敗しやがった。生き返らせてどうすんねんwWカップは欧州の国でベスト4が決まりましたね。地の利といってしまったらそれまでなんですけど、最近、欧州かぶれの私としては自分のことのようにうれしいです。注目はフランス。ブラジルに勝ったし、勢いは一番なのではないでしょうか。代表を引退するジダンのためにもチーム一丸となって頑張って欲しいです。
■文芸評論について
文芸評論は、日本では微妙な立場ですね。私もこの年まで「文芸評論家」という文筆業があることを知りませんでした。また、イデオロギーに先験的なアレルギーがあるこの国では、イデオロギー論に走りやすい文芸評論の作品自体が大衆の目にふれることが少ないのかもしれません。
坂口安吾は、評論を読まないと理解できない文芸など、芸術ではないといってます。彼の気持ちはよくわかるんですけど、そこまで完璧なコミュニケーションができるほど、読み手・書き手ともに成熟していないのが日本文芸の課題ではないかと思います。もっといえば読み手のレベルがどこまで向上しようとも、読み手が書き手の思想を完璧に理解することなど、究極不可能です。であればこそ、書き手と読み手の橋渡しをして、読み手の思索を書き手の思想に近づけようとすることが文芸評論の目的として求められると思います。
上記のような考えを得たのも、奥野武夫の「太宰治」を読んだためかもしれません。太宰治については、世間一般では「斜陽」「人間失格」が代表作とされ、その内容があまりにも陰鬱であるため、彼への誤解も多いように思います。本作では、太宰の精神分裂症の面も認めながら、そのような状況に至った彼の人生、時代背景をまじえながら同情的に考察しています。実際、彼の創作活動の中では明るい希望に満ちた作品もたくさんあるのです。イデオロギーについての記述も少ないので、イデオロギーに関する詳しい知識のない方でも読みやすいと思います。ちなみに、奥野は三島由紀夫、伊藤整についても研究している文芸評論家です。
ちなみに個人的には太宰について深く掘り下げることはしたくないというのが今の正直な気持ちですね。どうしても同情的に読んでしまうからです。今回の評論からも、自分と似た性質を発見することがあり、そのことが自分を陰鬱な気分にさせるのです。ただ、作家と向き合うことは、自分が創作する上での思想を成長させていく助けになるので、しばらくは続けていきたいです。