□「言語の可能性」序章 

論理は、あくまで人間の一様体にしか過ぎない。論理で人間が説明できると考えるならばあまりに傲慢だ。
人間には身体がある。感情がある。さらに、人間の意識にさえ立ちのぼらない「宇宙」がある。その宇宙を明示することが哲学の目的のひとつなのかもしれない。「宇宙」を明示するのに、人間は論理的道具である言語の可能性に頼る他ないのは悲しき性である。ただ、言語がなかった場合のことを考えてみれて欲しい。もし、言語がなければ、人間は、論理はおろか、「論理化できない概念」の存在すら気づけなかっただろう。よって、言語の可能性を追うことは、人間存在を明らかにするためにはどうしても必要なのだ。まずは言語学を研究したソシュールについて書きたいと思っている。


☆「日本に在った映画と今」はじめに

いいかげん、忘れられないうちに日本映画の評論を始めますわい。映画にたずさわる「人間」を見つめていくことで「作品」を明らかにしていきたいなんて思っておりますわい。まずは昭和初期から活躍した監督から乱れ撃ちしてみます。成瀬巳喜男、山中豊雄、稲垣浩、伊丹万作など。知らない人多いだろうなw軽いタッチで書くので読みにくかったら言って下さいませ。