昼・・・


昨日通読した板坂元の「考える技術・書く技術」は僕にとっては掘り出し物でした。昼の休憩時間を使って読み直しています。要は、よい文章を書くためには思考、読書、取材を通して、普段から頭のトレーニングを常々行っておくこと。これを行わずして、表現技法ばかり身につけても、何の説得力のない空虚な文章にしかならないということがよくわかりました。ちなみに具体的なトレーニング法や読書法もいくつか紹介されています。中でも印象に残ったのが三角測量法というトレーニングで、自分から離れたものに視点を設けることで、自分の考えや位置を修正するというものです。見えるようでなかなか見えない自分を見ようとする努力。それなくして他者などわかりようがない。この本を読んだあと、「文章読本」を読み直しましたが、これを読んでも小説は書けないと思い直しました。まさにタイトル通りの「読本」で、読み物としては面白いかもしれませんが、莫大な量の読むべき本を目の前にしては、当分読まなくてもいいかもしれません。


夜・・


会社を出る前に、デリダのエルクチュール論に関するネット上の文章 を読みましたが、いまいちピンとこないまま。哲学から小説のことに頭を切り替えるために、本屋で「小説の書き方」という明治書院の本を1時間ほど読んでました。小説の書き方というより心構えといったところです。繰り返し心構えの足らなさを認識し、戯曲「かもめ」も購入して、店を後にしました。思いつきで、新宿駅構内にある「Berk」というカフェで軽食。ここには「早稲田文学」と女子美のパンフが置いてあるため、たびたび訪れます。「早稲田文学」から、フロイトに関する文章を発見。「抽象的思考言語ができあがってはじめて、言語表象の感覚的残滓は内的事象と結びつくようになり・・・」という文章から、フロイトが指摘したことが理解。少年の凶悪殺人事件もこれで説明がつく気が一瞬しました。「殺人」という概念を幼年期から感覚するがゆえに、内的事象として知覚される時間が早まる。しかし、今考えると、概念化→外面化の過程については説明できない気がしています。


それにしても夜になったというのに、暑苦しさはおさまりません。今年はなんでも400年間で一番暑いとか。シャワーでも浴びて、見終わっていない映画でも見ながら寝ることにします。