最近かなり「壊れている」ことをこんな僕でも自覚してきた。

これも一向に変わらないどうしようもない現実ともはや持病とかした

酷い頭痛のせいであるが。


こんなときは、気の合う女性と付き合うことで目先を変えるとか、

色男を気取ってみたいものだが、相変わらず、その世界は、うまくいかず、

どう仕様もないと、文芸に触手を伸ばして、エセインテリを気取るしかない

毎日である。かといって何かいい創作のアイデアも浮かぶわけでも

今のところ無さそうである。


唐突だが、「小説」というものに非常な興味を持ちはじめている。

というのも「文化というものは何か」という問いを今自分の中に持った

ことがきっかけである。ここからは想像の域を出ないのだが、それは

そんなに堅苦しいものではなく、一般的な人間のありふれた日常生活

の中にそっと根ざしているもの(「もの」といって正しいかどうかはよく

わからないが)だと思っている。現代の人間は字を読まなくなったという

指摘をよく耳にするが、どうしてどうして、電車の中で小説を読んでいる

人を、私は毎日のように目にする。(しかも、私の見る限りでは、男性よりも

女性の割合が高いのである!)「小説」を読むということが、生活時間の

一部を占めている以上、「文化」というものを考えるときにははずせない

のではないか。もちろん小説だけに限らない話で、テレビ放送などの

他メディア、アート、文芸等ももちろん同じことがいえるのだが、私は

「小説」が持つ力にいたく惚れ込んでいるようである。その理由は正直

まだ自分でもよくわかっていないが。こんな簡単なことをいうために

スペースを使いすぎた。つくづく言葉というものは面倒くさいもので

あるが、これに頼らずしては何も表現できない自分もまたここにいる。


「小説」といえば、日本の作家が書いた小説論をいくつか読んだ。

小林秀雄(bloghiro-dive さんの「間男」というご指摘がありながら、

再三例示するのもどうかとは思いますが)の「私小説論」もその

ひとつだが、フランス文学に関する記述が多くあった。日本の作家

の中で、私に明確な影響を与えたといえるのはおそらく吉川英治と

司馬遼太郎(私は、学生時代は三国志、水滸伝、龍馬がゆく、坂の上

の雲など、歴史小説に胸を躍らせていました)だが、日本以外の諸

外国の中から、そんな作家を探してみるのも面白い気がしている。

というわけで、まずはフランス、ドイツ。アメリカ、イギリスは直感的に

嫌ってみる。


「勝手に師弟関係を結ぶ」というのが、最近の私の傾向としてある。

(前述のbloghiro-diveさんもそのひとりなのですが。今後ともよろしく

お願いします)最後に紹介させていただきたいのだが、その私の「師

匠」の松岡正剛さんの書評サイト「千夜千冊」 をご紹介したい。

グーグル検索の上位に出てくることが多いため、このサイトの存在を

知ることができたのだが、書籍を選ぶ上で、大いに参考にしている。

まさにサイト名のとおり、毎夜本を読んでも、松岡さんのように、あれ

だけの難解な書籍を莫大に読めて、しかも雄弁に語れる気は

今のところまったくしないが、少しでも近づきたいと思うわけである。

「知を追究し、間違いを正し続ける」。これが私の生きがいのひとつ

になったようだ。


さて、Webプログラミングの勉強でもしよう。