「光の雨」という映画を見た。立松和平の小説が原作で、テーマは

70年初頭の連合赤軍事件だ。

事件から30年後に、小説の映画化の企画を立ち上げ、その映画の

メイキングの様子を描くという変わった設定である。


私は今までこの事件のことをよく知らなかった。

テレビで浅間山荘事件の映像を目にすることがあったが、その事件の

いきさつはほとんど紹介されなかったし、両親に聞いても明確な答えは

えられなかった。(鑑賞後、その理由はよくわかったが)

私は左翼でもなんでもないし、彼らの行動はもちろん肯定しないが、

彼らが唱えた革命、総括の意味を知りたかった。


結局わからなかった。わかったのは、彼らのいう「革命」の成功に必要

なのは「総括」という極端な自己否定を繰り返すことで、それが結局

破滅を招いたという事実だけだ。しかし解せないのは、「総括」を行った

としても「革命」が成功する保障はないことは彼ら自身が一番理解した

はずだ。しかし、そう認めてしまうことは、すなわち敗北であった。

そして指導部が振りかざした「革命戦士にとっての敗北はすなわち死で

ある」という異常な論理があのような事態を引き起こしたのだとただ

想像するばかりである。


小説を書いた立松も映画監督の高橋供明は、事件を起こしたメンバーと

同年代である。彼ら自体もこの事件を通して自らを「総括」したかったの

だろう。しかし、彼らでさえもよくわかっていないのかもしれない。

劇中の登場人物の「革命戦士って何だ?」というセリフがそれを

代弁している。


「革命」も「総括」も単なる絵空事であると片付けてしまえば、話は早いの

だが。

歴史の空白感を感じた映画だった。