昨日は、仕事を早めに切り上げて、新卒で入社した某証券会社の
同期4人と、都内で会っていた。この会社の新人は、皆、最初は営業
部に配属となった。配属支店は違えども、同じ新規顧客開拓という
タフな仕事を経験し、そのつらさを共有してきた、私にとって大切な
友人たちだ。現在は、全員その会社を退職して、それぞれ、別の仕事
で頑張っている。(証券会社は非常に離職率が高い!) 皆でわいわい
飲みながら、話題は、やはりというか、仕事の話が中心になる。
そこで、友人がこんな話をしていた。

友人A「やっぱり、学歴なかったら、出世も転職先も、限界あるよなあ。」
友人B「ホリエモンだって東大だしなあ。東大じゃなかったら
あそこまでいってないよ」

 この発想って、やばいと感じるのは私だけか?もちろん、高学歴と
言われる人間が、名誉を勝ち取っていく世界があることは、事実であ
る。しかし、今回のケースで言えば、「学歴のないことは、出世や高
収入等を手に入れることは、本当に不可能なのか?もしくはそれだけが
人生の目的なのか?」などと、時に考えることが大切だと思う。私は、
人生において、工夫しなくなる、発想しなくなるという「思考停止」と
いう状態
が最も怖いと思っている。私自身が、かつて、一流大学合格が、
人生の目標であり、それが達成された時点で「思考停止」に陥り、その後
空虚な4年間を送ってしまったからだ。
 私の世代は、「就職氷河期」といわれる時期に、就職活動を迎えた。
高学歴を手にしながら、就職活動の結果、不本意な会社からしか内定
が出ず、そのうちのひとつに入社したものの、入社後、会社にミスマ
ッチを感じて、転職した人間も多い。私もそのひとりである。そんな
思いを持った人間が他の世代よりも多い世代だとも思う。大きく自信を
失っている人間もいる。
 「満足感とあきらめ」、学歴社会が生み出したこの風潮は、非常に
根が深いと思う。にもかかわらず、このシステムを作った日本という
国は、この風潮に対して、さしたる問題意識を持っているようには
見えない。むしろ、このシステムは加速しているようにも見受けられる。
この加速に反比例して、日本が最も大事にすべき「人材」という資源の
生産性はどんどん落ちていく気がする。