前回「異端児でいこう」では高校の友人からいくつかの好意的なコメントを頂いた。大変ありがたいことである。これも包み隠さず、自分の真実、気持ちを語ったからに他ならないと思う。今後もこのブログを運営していくにあたって、守っていきたいことである。

 さて、先日、海外交流プロジェクトを多く手がける知り合いが、スマトラ沖地震、津波による被害国のひとつ、スリランカの惨状を伝える写真を公開した。また写真の公開を知らせるメールからは、日本の報道姿勢に対しての怒りと、彼本人が、今回の出来事に関して具体的な行動に移していきたいという思いが伝わってきた。また、友人のブログでは、任意団体による災害寄付募金の使い道について、説明を求めるべきだという主張があった。
 僕自身、地球に住む一人の人間として、今回のこの惨事に対して、思う所が無いわけではない。ただ、なにぶん知識不足であるため、友人、知り合いからの情報を頼りに、可能な限り、自分の意見を提示したいと思う。
 
 まず、今回の災害への義捐金の寄付をするかしないかについては、今のところは、基本的には、「支払わない」という姿勢を持っている。こんなことを言っていると、非人道的だとかすぐ言われそうだが、正確にいえば、友人の私的にもあったが「自分の支払ったお金が、どの国・地域に、どんな形で使われたという用途が具体的にわかる場合を除く」ということに賛同する姿勢である。寄付先の地域・寄付金の用途が、具体的であればあるほど、お金を送ったことにとどまらない継続的なサポートも自分の気持ちしだいで可能な気がする。それこそが、現地の人の求める所だと思う。
 それよりも、今回問題にしたいのは、前記のことではなく、私も含めて、地球上の人間がこのような災害による悲しみ、惨状に関して、あまりにも当事者意識にかけていること。そして、それだけならまだしも、人間として、あまりにも目のあまる行為があったということである。
 現地では、「歴史的な科学現象を後世に残すため」という口実のもとに、混乱さめやらぬ状況の中、今回の津波を金儲けの手段としている輩がいるという。彼らには、倫理感という大事なものが欠落しているのか?また、インドネシアの過激派が混乱のさなか、動き始めていると聞く。彼らには同胞を哀れむ気持ちのかけらもないのか?
 また、当事者意識という意味では、日本では邦人の被害状況と、各国の援助金額のみが大きくクローズアップされ、現地の悲惨さは死亡者・被害者数というデータでしか語られていない気がする。自国民の被害状況と援助金の多い・少ないしか気にされないなんて、ちょっと恥ずかしい。
 ここまで偉そうなことを言ってきたが、これは、自分自身に対する警鐘である。正直、知り合いからメールがなければ、ここまで考えさせられなかっただろうし、おそらく、このブログも「異端児でいこう!2」というテーマでお茶をにごしていたかもしれない。正直、英語学習の延長から海外交流とか吠えてた自分が恥ずかしくなった。
 ただ、幸運にも、このメールにより、現地の惨状を写真で見て、自分なりに考える機会を得ることができ、しかも、本日、日本スリランカ学生協会による募金活動の話をいただいた。参加に関しては、詳細を調べた後に、考えたいが、とにかく自分の人生で初めて、海外の出来事に対して、多少なりとも当事者意識が持てたことは確かだ。全てのことに関して、当事者意識を大事にし
たいと痛感している。
 乱文の数々、お詫びいたしました。