『おまけの人生』私は事故後の自分の生い立ちはこう呼んでいる。
『死んだつもりで』人生をリセットしたかったからだ。
もし、あの日、あの時、偶然にもテレビを見ていなかったら、
その後の人生はどうなっていたのだろう。
あのままターニングポイントが見つからなかったら、自暴自棄のまま最悪の結果を招いていたかもしれない。
自己嫌悪、人間不信にも陥っていたから。
人間らしくない生き方をしていたかもしれない。
私は再スタートとしてこの場所を選んだ。
こんなポンコツな私でも受け入れくれたから。
私が通い始めた当初はセンターが開設して約1年経った頃だった。
正式名:公益財団法人 日本盲導犬協会 日本盲導犬総合センター
愛称:盲導犬の里 富士ハーネス
元々はあの『オウム真理教』の総本部があったところだ。
そこを潰して、明るく人々の馴染みがある場所にしようとみんなが立ち上がりできた訓練所。
そこで私はボランティアとして約9年間活動させていただいた。
最初はケンネルボランティアとして、パピー、訓練犬、引退犬の世話を担当。
数カ月すると兼ねて募金活動に参加し、寄付をお願いするイベントボランティアに。
始めたころは週2~3回ペースで通っていて、スタッフと間違えられたこともある。
そしてだいぶ体も良くなり元の体を取り戻しつつあった頃、上の方から『デモンストレーターにならないか?』と声をかけられた。
最初何言っているのかわからなかった。
要は、スタッフの代わりに盲導犬の仕事をたくさんの人の前で紹介するボランティアの事だった。
しかもPR犬を動かしながら。
冗談じゃないと思った。
出来っこないと思った。
1度は断った。2度目も断った。
なぜなら、今まで自動車整備工場勤務でほぼお客様とは接触のないいわば裏方の人間で、文章力もなく口下手で、何しろ人見知りだったからだ。
開設して間もないため、まだ、そのボランティアはだれもいなかった。
スタッフも少ない中でやりくりしている。
3度目は渋々承諾した。少しでも役に立ってみたいと思ったからだ。
引き受けたものの、正直自分にこの役目が務まるのかと不安だった。
多くの知識も必要だったし、間違ったことは発信できない。
でも私は訓練士を目指していたので、何か勉強になるのかもしれないと思って研修を受けた。
数カ月研修を受け、テストを受け、富士ハーネスでのデモンストレーター第1号になれた。
当時この協会は日本で唯一盲導犬訓練士を育てる『盲導犬訓練士学校』が神奈川県にあった。
身体もだいぶ良くなったので、デモンストレーターのボランティア活動をしながら、訓練士学校を受験しようと昼間勉強して、夜バイトして必死に頑張った。
当時30歳。
5科目+一般教養。
高校生レベルの問題集を買いあさり寝る間も惜しんで勉強した。
さすがにクタクタだった。
毎年全国各地から何百名という応募者が集まる。私が受けた時には約300名程度。
受かったのは8名。
当然私の名前なんてない。悔しかった。
あんだけ勉強したのに。
年のせいか・・・。応用が利かず頭が悪いからだろう。
今考えれば向いていなかったのだ。
負けず嫌いな私なので次の年も受けようとした。
だが、年齢制限で受ける権利さえ与えてもらえなかった。さすがに落ち込んだ。
希望が途絶えた瞬間だった。
『なんでいつも自分だけこんな目に合うのか』。
また、あの嫌な思いが蘇る。
でも、現実を変えることはできないので頭を切り替えた。
切り替えようと必死だった。
『自分にしかできないこと』を探そうと。
憧れや形だけに拘っていたような気がする。
現実の訓練士の仕事を見れば、到底私の考えでは成り立たない。
犬の訓練だけではないのだ。
その先にはともに歩く目の見えない人、見えにくい人の命がかかっている。
人のケアも必要なのだ。
正直私みたいな人間は向かない。と確信した。
やはり訓練士のレベルの高さに驚いた。
私は担当したデモンストレーションは訓練士になったつもりで毎回挑んだ。
PR犬と共に盲導犬の仕事を犬を動かしながら説明する。
視覚障がいについて。そして今の現状と寄付を募る。
1回に付き約40分間動かしながら話し続ける。
いかに人に見てもらえるか。パフォーマンスが必要だった。
時には小・中・高校へPR犬を連れ出張デモンストレーションも担当した。
こちらは90分間のデモンストレーション。
どちらかというと私は子供が好きなので教えることが楽しかった。
子供は正直なので楽しくなければそっぽを向くし時には寝てしまう。
難しい言葉を並べればわからないので飽きてしまう。
いかにどう飽きさせず自分の発した言葉を大人になってからも記憶に残させるか。
言葉をかみ砕きながら話した。自負するわけではないが、好評だった。
すごくやりがいを感じた。
人前で話すことも、回を重ねるごとに慣れてきた。
楽しいとも思えるようになった。
だから、訓練士にはなれなかったけれど、他の仕事をしながらできる限りボランティアを続けようと思った。
拘らずに自分に合った生き方をしようと思った。
次回に続く・・・。