ただの近況報告として書いてるこの雑記シリーズ。
前回より約3ヶ月分をお送りいたします。
9月の旅行は別にして、12月分はあえて落とした。
文字数カウント7365。
それでもこの文字数
だいたい時系列順に並んでいます。
頭の一文だけ斜め読みしてもらっても大丈夫です。
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9月といえばNFLの開幕です。
BUFが開幕戦勝ったぞー
電車内のニュースでネタバレ食らったわ。
特に月曜日と火曜日は出社したくないなぁ。
毎週の試合結果が楽しみなのいいですね。
生活にハリがありますね。
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家から一番近いライブハウス行くのに、
荷物持つのもめんどうだからと手ぶらで行ったら、
まさかのお土産もらって、手持ちで電車乗って帰った。
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内容をおおよそ知っているとはいえ、
新書を半日どころかひと晩で読んじまった。
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幸せな劣等感 アドラー心理学<実践編> 向後千春(著)(2017)
今まで岸見一郎の本ばっか読んでたので、
同じアドラーの理論を説明しているはずなのに、
言い方はこうも違うんだって思った。
向後先生の語り口はすごくやさしい。
(押し付けがましくない、白黒つける言い方をしない)
そして論理がシンプルであり、内容がわかりやすい。
1章あたりの文章量も少なくて区切りがつけやすい。
つまりまとめると、すごく読みやすい本だった。
ただ、一本調子で印象に残りにくいから、忘れちゃいそう。
それが(本人も気にしてた)つまらないってことなんだろうなと。
新書を実用文として捉えるならば、感情を動かすための仕掛けより、
地味でもわかりやすく伝えることが重要だと思うけどね。
対照的に、岸見一郎は耳目を集めるために、
刺激的なフレーズを選んで(作り出して)いるんだなと。
ポピュリズムに振り切っているなと。
具体的な話をすると、
承認欲求の否定の否定をしてたし、
嫌われる勇気ってフレーズをバッサリ切ってたし、
振り切った岸見一郎からのバランスを取ってるなと。
現実を見て対応しているなと。
あと、感情に関する説明付けとして、
目的論に深く触れずに、
私的感覚や仮想的目標から入っていったの、
この筋道があったかと思った。
ちょっと気になったのは、
挙げられた理論がどの程度のものかわからないから、
どこまで信頼していいのか、ちょっと困った。
要は、傍から見ると眉唾ものを引っ張ってないかなと。
著者本人は自信を持ってるだろうけど、
読者は検証するだけの知識がないし。
他にも、科学史における位置づけはありがたいなと。
ファイヒンガーに触れていた点もいいなと。
(逆に個人史や理論の変遷にあまり触れてないけど)
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ひとりの人間が考えた素朴な信念じゃなくて、
100年に渡ってたくさんの人から磨かれた理論は
アドラー心理学くらいかもな。と。
他にそゆ人生論ってある??
(あるでしょうけど、アドラーほど浸透してないよね??)
もはや思想や宗教と同じレベルだと思うんだよね。
例に挙げるのも申し訳ないだけど、
松下幸之助とかドラッカーとか、
古典として今なお読む人がいるけれど、
もう更新されないものになってるというか。
とはいえ、病んでる人にアドラー心理学はしんどいよな。
ただ、健康的な幸福ってアドラー心理学の先にあると思う。
なんていうか、マイナスをゼロにするものではなく、
ゼロからプラスを目指すときに学ぶものだと思う。
だからある程度、元気になったら学んでほしい。
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アドラー心理学に対して、
すごく斜めに見るようになったけど、
守破離の「破」に入ったということだろうか。
だとしたら多少なり知識がついたってことか。
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そや、嫌われる勇気って言葉、
嫌われることを恐れて支配/被支配の関係(縦の関係)に
とらわれることに対する警鐘であって、
エゴイスティックの全肯定ではないんだよな。
過去の自分に言ってやりたいな。
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ちょうどいい友達がいないの、
考えてみれば仕事より交友のタスクのが難易度高いじゃん。
必然性のない関係性ってなかなかたどり着けないね。
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志村は29、wowakaさんは31。
メジャーデビューした年とか、
ヒット曲を出した年とか、
紅白に初出場した年とか、
色んな人の当時の年齢を
いつの間にか追い越して落ち込んでたけど、
まさか死んだ年齢すら超えるなんてね。
前にいたはずの背中に追いついちまった。
だから、もうぐちぐち言うのやめるか。
って一瞬だけ思ったけど、結局すぐに戻ってたわ。
そういえば、
死ねるなら27で死にたかったと今でも思ってる。
---(引用ここから)---
人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った
八月、某、月明かり / ヨルシカ (作詞: n-buna)
---(引用ここまで)---
35才までの求人広告を見ながら、
プロのスポーツ選手になるたらればを諦め、
芸能人や有名人になるたらればを諦め、
ついには普通の人としてのたらればも
諦める時期がもう来るんだなと思った。
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職場で雑談したときに、
結局、自分のことばかり話してて、
相手の話を引き出すことができなくて、
なんか、すごく自分が子供っぽく思えた。
ちゃんとした大人の会話がしたいなと思った。
このときにこう話をすればよかったとか、
ここから話を広げればよかったとか、
こゆこと聞けばよかったとか、
久しぶりに反省会してた。
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何かわかった気になって、
小さいところでえばり散らしても、
こうしてまだまだだと思い知らされる。
ありがたいね。
結局は相対性と関係性なんだけどね。
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未熟だなと伸ばしたいがないと成長しないよね。
最近、あんまり感じてなかったものだったわ。
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人間関係は定期的に切り捨ててきたんだけど、
やっぱりたまに見えちゃうんだよね。
今回は見に行ったが正しいんだけど。
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9月に遅めの夏休みとして7泊の旅行に出ました。
その旅行の話を本当はこの雑記に入れ込もうと思ってたけど、
旅行の話だけで16000字ほどあったので記事を分けました。
(この雑記はだいたい7300字)
→ 雑記 20221129
そや、旅行に出てたことを大っぴらに言いにくかったけど、
そろそろ気にしすぎなくていいかなと思ったので、
旅メモの更新情報の投稿を再開した。
→ 旅メモ 2022/9 紀伊半島横断旅行
---(ここから要点のみ転載)---
夏休みどうしようかなって考えたときに、
春アニメでサマータイムレンダ見てたのと、
GWに淡路島に行って紀淡海峡を見たのと、
あと、名古屋でちょうどいいライブがあったから、
じゃぁ、名古屋のライブと和歌山の友ヶ島をメインに、
名古屋と大阪を移動しながら近鉄に乗ろうか、
それと、USJにも行こうかなって感じで大枠を組んだ。
って思ってたけど台風に友ヶ島は潰されて、
それならと大阪メトロと南海(残り)+高野山を追加した。
<ざっくり乗った路線一覧>
・近鉄①奈良線橿原線京都線グループ
・近鉄②大阪名古屋線伊勢志摩線グループ+α
・近鉄③南大阪線グループ
・大阪メトロ9路線
・南海グループ+水間鉄道
・南海高野線
+
・USJ 1.5day
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吉野山、USJ、高野山、ライブ2本って行ったものの、
ほんとに観光しないで乗ってるだけだったなw
伊勢市で降りたのに、ポケふただけ撮って、
伊勢神宮の敷地にまったく入らなかったし。(笑)
そや、金峯山寺、水間寺、金剛峯寺とお寺が多かった。
台風が3連休のたびに来てて、
そもそもの目的だった友ヶ島もそうだし、
最初は賢島まで行く予定だったのを変えて、
先に伊賀鉄道に乗ったりしたんだけど、
よくもこれだけ柔軟に対応できたことやら。
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勢いで南海も大阪メトロも乗ったことで
関西圏も中京圏も私鉄含めて全部乗ったので、
これでいよいよ災害休止中の路線と、
首都圏の大手私鉄だけになったわ。
本格的に終わりが見えてきた。
これからも旅行に行くし、まだ乗ってない鉄道もあるけれど、
これだけ長期間、鉄道に乗るための旅行も最後かなと思うと、
なんだかエモくなってた。
考えてみれば人生初の旅行が2012年だったから、
ここまで足かけちょうど10年か。
---(要点のみ転載ここまで)---
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旅行から帰ってきて、
そのあとしばらく毎日寝落ちしてた。
そして朝起きる健康的な生活してた。
睡眠時間も長めだったし、
使い果たした体力を回復してたんだと思う。
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また1万枚回った。これで累計8万枚。
もう残枚数は見ないことにした。
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焼肉、寿司、素麺
質より量だったのが、量より質になりつつあるなと思った。
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---(引用ここから)---
日本一周をした人間として思うのは確かに日本一周は楽しいし素晴らしい風景もいっぱい見れる。
でも最初から死を覚悟してる人の心を引き止めるほどの力は無いと思う。
日本一周は皆んなが思ってるより普通の日々の連続で、終わったら何も変わらない日常が待ってるだけ。
from えむけいさん腹黒多忙なホテルマン (@emukei42)
---(引用ここまで)---
旅好きとして、全国を(分割して)周った人間として、
旅行の良さを十分に知ってて言うんだけど、
そこまで救う力はないんだよね。その程度なんだよね。
どんなに楽しい時間を過ごしたって、
あくまで仮初の姿で、いつまでも余所者で。
日々の生活をしていくために大事な、
人間関係の問題は解決しないし、
旅行してれば対人スキルが身につくものでもないし。
所詮、対症療法として気が紛れるだけ。
人生観が変わる出来事がないとは言わないけど、
普段よりいくらか確率が高い程度でしかない。
奇跡は狙って起こせるものでもない。
あと、長期になればなるほど、
最初は非日常だったものが日常化してきて、
普段の生活よりちょっと嬉しいことが多いだけの、
思ったより淡々とした日々なんだよね。
どういう心持ちで自宅を発ったのかわからないけど、
人生の最終章として少しでもいい時間が、
後悔のない時間が過ごせたことを願う。
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運動のための時間だと負担に感じるから、
ながらで運動しようと思って、
最近、エアロバイクを漕いでる。
テレビの録画を見ながら漕いでる。
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事の成り行きで小田原で半日仕事をしたんだけど、
まさかこの地にまた降り立つなんて思いもしなかった。
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滝家の米が買えた。美味しかった。
てか、ミュージシャンの実家で作った農作物って。(笑)
そや、普段は無洗米なので久しぶりにお米を研いだ。
てか、「お米を研ぐ」という表現も消えるのだろうか。
考えてみれば、無研米じゃなくて無洗米だし。
さすがに研ぎ汁で洗い汁とは言わないけど。
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いくつかある社内プロジェクトの1つに推薦されたんだけど、
物怖じしないで圧も強くなく、ニコニコしてたらそうなるか。
暗くて話しかけにくい人よりはいいかもね。
こゆ仕事が若手だからと振られなくなったらお[ピー]さんなのかね。
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そういえば、卒業が確定した。
そして資格のための単位も取り終わった。
もうめんどいテスト受けなくていいの、清々するわ。
ちなみに卒論は先生とケンカしてやめた。
なので、残り半年はただ時間が過ぎるだけ。
てか、バイト先の店長とケンカして辞めたみたいな、
もうそんな年齢じゃないんだけどな。(笑)
ある意味では逆に笑い話として面白いかもね。
ちなみに、<プロット>心理学は科学か -二元論からの脱却-は、
もともと卒論のプランBとして考えたものだったけど、
これ、わざわざ卒論でやるほどでもないわ。
巨人の肩の上に立つ現代人として、
知の生産活動をしてみたいと思ったけど、
これだとただの自己満足でしかないと思った。
だったらこのブログで書けば十分だし。
(それすらままならないほどに時間ないけど)
あーぁ、ほんとはちゃんとした調査して、
本気で論文書くつもりでいたんだけどな。
それは来世かもな。今のところ予定ないし。
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あえて最初のやる気が高い時期に勉強しないで、
モチベーションを細く長く保とうとしたけど、
1年で底を尽いて、1年半で完璧になくなったわ。
これで残り半年間卒論書いてたらどうなってただろう。
ある意味、なんとか逃げ切った感じ。
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相手のメンツを潰さずに自分の要求を通すの難しい。
いくらシミュレーションしてもいい案が浮かばない。
ケンカになったらもう説得や対話にはならない。
でも、受け入れる素地のありそうな相手なら、
説得するために色々考えるの楽しいんだよな。
教える側としても相談に乗るのも好きかも。
カウンセラーには、(コンサルに近い)結論を出すタイプと、
(傾聴を重視する)結論を出さないタイプがあるけど、
基本的には結論を出すタイプが好きだわ。
というかアドラー心理学も指針があるし。
そや、断れない人が苦手なの、対話ができないからだ。
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あるときに写真を見返しながら、
あれだけ仲良くしてもらってるのに、
その人と1枚も撮った写真がないことに気がついた。
どう言おうかな。今さら過ぎるもんな。
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縁はすり減るものだと知ってるはずなのに、
関心のディスコミュとそれによる喪失感。
いつまで経っても慣れなくて、
こうしてグチグチ書いてる。
てか、「これぐらい」のラインに常に届いてなくて、
満たされてない気持ちをずっと抱えてる。
ただ、関心のディスコミュを叫ぶ前に、
ちゃんとした自己開示をしたりとか、
仲良くなりたい感じを見せるとか、
そゆとこをちゃんとやろうね。
それができないorへたくそなんだけど。
人見知りのネジが外れてるだけで、
別にコミュ力なんて低いですからね。
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あちこちオードリーの中田敦彦回を見てて、
若林正恭が人を車に、個性をパーツに例えた話に対して、
(アクキーにもなった「ボンネット開けまくり」の話)
中田敦彦が自己分析と内省が完了したから、
他人の話を聞きたくなったんですね(意訳)って返してて、
なんか、若林の言ってることがわかるって思った。
自分の内側に潜ることはもういいやって感覚。
そこから他人に興味を持ち始めたんだよね。
『あちこちオードリー』中田敦彦と若林正恭の対比と対話
自分を受け入れてほしいって押し付けだったのが、
相手を知りたいになってきて、
そして、入り込みたいとか最近思う。
人の人生を狂わせてみたいとも。(そこまでの実力はない)
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外向的になるほど、自己を客体化するほど、
今までやってたことができなくなって窮屈になるね。
なんか、他者を見るようになってから、
自由から逃走するようになった。
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そや、気がついたら週5本で若林の番組見てた。
激レアさん、午前0時の森、あちこちオードリー、
あとプラスして、オドぜひとNFL倶楽部。
オドぜひとNFL倶楽部で1本みたいなもんだけど。
(※午前0時の森で本人もそう言ってた)
ただ、ANNは聞いてないんだよな。
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アニメを前のクールは8本見てたのに、
今クールは5本だった。
そや、アニメは別に個人で見てるだけでよくて、
感想を共有したいとか特にないんだよね。
どの作品がよかったとかそれぐらいかも。
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冷凍のフルーツを買ったものの、
そのまま食べるとしんどかったので、ジャムを煮た。
浸透圧による水抜きといえば塩を思い出すけど、
砂糖でもあんな水分が出るとは思わなかった。
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営業職をしてた人と机を並べてるんだけど、
段取りをつけて先に準備しておくとか、
ヒアリングして落とし所を交渉するとか、
営業職のスキルって汎用的だよなと思った。
本人は直接的に売上を作ってないから、
仕事をしている実感がないとか言ってたけど。
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ミーハーのが生きてて楽しいだろうなと思った。
いちいちケチをつけようとしてるの、
なんかもったいないよなと思った。
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(仕事じゃない場面で)根回しをしっかりやってて、
高校生の頃の自分はなんて言うのかなと思った。
---(引用ここから)---
高校生に「AIに奪われない人間ならではの大事な仕事ってなんですか?」って質問されたので、「根回し」って答えておきました。
from 若新雄純(わかしん。)(@wakashin)
---(引用ここまで)---
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SNSによって多様な年代が混ざり合うことが起きた結果、
ハタチ前後の若い人が大人から容赦なくねじ伏せられてて、
籠もっちゃう心理がわからんでもない気がした。
同世代で同レベル相手のちょうどいい経験が少なくて、
こゆのばっかじゃコミュ力はつかないよなと思った。
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「若い女性」というだけで、誰かと交流するときに、
それ以外の人に不要な心配事があるんじゃないかと、
考えを巡らせていたら、
めっちゃ警戒されたことを思い出して、
意図せずに与えた加害性に気がついて、
なりたくなかった姿に近づいてることに気がついて、
勝手に未来まで背負い込んで絶望してた。
もうぬいぐるみにはなれないのか。
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そや、ある程度の年齢になったら、
遺伝とか親の育て方(≒性格)を言い訳にしないで、
自分で自分を育て直さないとね。
適応だと我慢の印象を持つから育て直し。
それまでの歪みを整える感じというか、
現状と要請に折り合いをつけて主体的に関わる感じというか。
うん、これもアドラー心理学っぽい感じがある。
あと、意外と内面が癒される感覚があるんだよね。
奥底にいる子供の自分が満足していくというか。
主体としての自分が客体としての自分をあやしてる感じ。
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理不尽さを、不本意さを抱えて、
思い通りにならないことに折り合いがつかないとき、
amazarashiは効きすぎる。
まだ真っ最中だから笑い飛ばす過去ではないけど、
いつの間にか夜が来たように、状況は少しでも変わっていく。
仕方のないことと言い続けていたけど、
つらかったんだ。強がってたんだ。
挫折してることに気がついた。
ただ、1回夜が明けた経験があると強いな。
なんとかなるって思えるというか。
amazarashiがいつの間にか響かなくなって、
過去のものだと少し前に思ってたけど、
ちゃんと帰ることができる場所だった。
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---(引用ここから)---
幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ
back number / 瞬き (作詞:清水依与吏)
---(引用ここまで)---
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