リアルマインド・ナビゲーターの光汰郎です。

 

 

 

 

霊的進歩が遅い自分を責める。

 

自己批判する。

 

いつまで経っても幻想に振り回されてしまう自分に嫌気がさしてくる。。。

 

 

 

 

 

私たちは、こう考える時点で自我(エゴ)の策略にはまっている。

 

僕もしょっちゅうこの罠に引っかかっています。

 

毎日……笑

 

 

 

本来の自分は最初から完璧に創造されている。だから、本来の自分が自分の中に欠点を探すことはありえない。

 

 

 

そもそも欠点とは、自分以外の何かと比較しないと何が欠点なのかわからない。

 

実在の世界は全てが一つ。

 

だから、本当は比較しようがない。

 

 

 

 

 

私たちは既に終わっているものをなぞっている。

 

全ての『神の子』が夢から醒めた未来は既に存在している。

 

夢から醒めているということは、

 

既に「宇宙は造られた」という幻想は取り消されていて、

 

「何も起きなかった」という始まりに戻っている私たちがいるということ。

 

 

 

 

 

 

そのゴールした私たち、

 

「何も起きなかった」というスタートラインに戻っている私たち、

 

それが本来の自分(ハイヤーセルフ、聖霊)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

ややこしいですか?……笑

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ、ハイヤーセルフ(聖霊)は確信をもって私たちを導く。

 

 

その存在は、

 

一度も誤らなかった存在であると同時に、

 

一度は『神』からの分離を信じて幻想世界を投影し、

 

その幻想すべてを修正して(幻想を実在と置き換えて)一度も誤りをしなかった存在に戻った存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり、ややこしいですね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

肯定的な自己批判というものは一つもありません。

 

私たちはポジティブな自己批判があると信じています。

 

私たちは自己批判をやめると堕落すると信じています。

 

でも本当は自己批判すればするほど霊的な進歩は足踏みするのです。

 

 

 

批判するたびに「私は完全じゃありません」と宣言しているわけです。

 

肉体は完全にはなれません。だから肉体の自分を批判しても仕方ありません。

 

肉体は永遠に完全にはなれません。

 

私たちは夢の中で「本当は完全だ」ってことを忘れているわけですから、今それをちょっとずつ思い出すための学びをしているわけです。

 

本当の自分は「私は常に完全です」と言っているのですから、自己批判すればするほど本当の自分とズレが生じるのです。

 

 

 

 

 

進歩が遅い誰かに対して批判的になるのも同じです。

 

その人を批判してあげることは、相手のためにもなるし、社会のためにもなる。

 

そう信じていると、自我(エゴ)を強めるだけです。

 

相手も自分も不完全なフリをしている完全な存在なので。笑

 

 

 

 

誰かを批判すればするほど、分離意識を強めてしまう。

 

口に出すか出さないかは問題でなく。

 

私たちは本当はここにいないのだから。

 

私たちは本当は一つなのだから。

 

批判している相手と自分は本当は一つなのだから。

 

 

 

 

愛が動機であるなら、

 

批判とは違った言葉が自分の中から出てくるかもしれません。

 

もっと違った態度で相手に接することができるかもしれません。

 

 

 

もし愛に基づかないのであれば、本当は相手ではなく自分のことを批判したくて仕方ないのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

これは皮肉というか、

 

不思議な法則かもしれませんが、

 

 

 

自分を厳しく叱咤して、先へ先へと急ぐより、

 

のんびりおおらかに、

 

慎重に進んでいくほうが早く成長します。

 

 

 

 

 

霊的成長とは、

 

身につけてゆくことではなく、

 

思い出してゆくことだから。。。

 

 

 

 

 

 

急ぐと穴に落っこちるのです。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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