リアルマインドナビゲーターの光汰郎です。

 

 

 

『コロナ禍が終息しました。皆さま長いことお疲れ様でございました!!』

 

 

そう書ける日まで、コロナの話題はやめておこうと思っていましたが、

未だしつこく終わらないので今一度書いておこうかと思います。笑

 

 

 

 

今さらですが、コロナ禍によって多くの人が仕事や私生活に大きな影響を受けました。

 

 

 

形の世界において、

 

この結果のレベルにおいて、

 

私たちは可哀想な犠牲者に見えます。

 

 

 

 

しかし、私たちは被害者ではありません。

 

ウィルスに翻弄される被害者ではありません。

 

 

 

これまでの状況は、

 

神か、

 

あるいは神以外の何者かが作ったシナリオに振り回されているように感じるかもしれません。

 

 

 

自分の外側から悪魔のような何かがやってきて自分の生活を引っ掻き回されている、

 

そんなふうに感じたほうが楽だと私たちは無意識に考えてしまいます。

 

 

 

しかし本当はこの結果のレベルと違うレベルで、

 

私たち自身でつくりだしてしまったものを見ているにすぎません。

 

 

 

 

 

すべては自分の内側で起きています。

 

 

 

自分が見せられているもの、

 

自分が経験させられているもの、

 

それらはもともと自分のマインドの中にあり、

 

それを自分の外側で見せられているだけです。

 

 

 

 

 

私たちそれぞれがコロナ禍で受けたダメージは各々で差異はあるものの、

 

すべてに共通することは、

 

変化を恐れて先延ばしにしてきたこと、

 

あるいは以前から問題に気づいていながらも誤魔化してきたことばかりなのです。

 

 

 

 

「もうこのやり方は無理なんじゃないか」

 

 

「もっと違う方向に目を向けなくては」

 

 

「今していること、これからしようとしていることは本当に自分にとって必要なんだろうか……」

 

 

 

 

個人レベルで起きた問題、

 

組織レベルで起きた問題、

 

国家レベルで起きた問題、

 

コロナ禍で起きた問題のすべての共通点は、コロナ禍が始まる前から既に存在していたものばかりです。

 

 

 

 

私たちは見なきゃいけないものを力ずくで見せられたのです。

 

良くも悪くもコロナによって私たちは背中をバン!と押されたのです。

 

 

 

 

いずれ向き合わなくてはならない問題が前倒しでやってきたのです。

 

 

変わるべきと気づいていながら気づかぬふりを続けていると、

 

私たちのマインドに潜む自我は、破壊的な方法で変化を強制します。

 

 

 

これは自我がつくりだす典型的パターンです。

 

このパターンは、個人においても、集団でも、国家でも全く等しく当てはまります。

 

同じメカニズムです。

 

 

 

 

個人の生活上の問題、

 

人間関係の問題、

 

ビジネス上の問題、

 

自分が見て見ぬふりをしてきたものは何か?

 

私たちみんなが見ないふりをしてきたものは何か?

 

自分が必要以上に執着してきたものは何か?

 

 

 

 

 

自分が見ているもの、

 

自分が経験する出来事は、

 

この世界にない自分のマインドレベルでつくられた夢です。

 

それぞれがそれぞれの視点で、

 

自分という個を支点にした夢を築き、

 

同時に集団という支点からも夢を築きました。

 

 

 

 

コロナ禍そのものに特定の意味はなく、

 

私たち一人一人のマインドが、

 

コロナ禍のような強制的な手段でもって自分自身に変化を促すことを無意識に選んだのです。

 

 

 

 

 

 

 

コロナウィルスたちは、きっとこんなふうに思っているのかもしれません。

 

 

 

「なんでもかんでも自分たちのせいにしやがって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックは中止になってもならなくても開催の在り方について考え直さなければいけない時期でした。

 

これまでのような形で未来永劫に開催を継続することは本当に必要なことなのか、

世界が考えるべきタイミングにありました。

 

採算性が極めて低いことは承知のうえで巨額の税金を投入し、当たり前のように続けられてきました。

 

 

オリンピック自体は続けてもいいでしょうが、

 

一部の業界の利益が優先される巨大ビジネスとしての祭典はもう時代に合わなくなっており、

 

世界中がそれに気づいていながら問題を先送りにしていただけでした。

 

 

 

 

 

この物理世界は変化の世界です。

 

変化という特性は自我の専売特許であり、

 

この世界は自我がつくりだした夢の世界だから致し方ありません。

 

 

 

 

 

僕自身も偉そうに語っていますが、

やはりコロナ禍をきっかけに私生活も、身近な人間関係など、いろいろな変化を経験させられました。

 

 

家族関係もちょっとした分断状態になったりしました。

 

 

コロナによって物理的に離れざるをえなかったり、

 

コロナに対しての考え方が180度違うために距離を置いたり、

 

コロナ禍のために親類の葬式に行くことも叶いませんでした。

 

 

 

 

次から次にうんざりしましたが、

 

いずれの問題も以前から隠れていたこと、

 

なんとなく自分が見ないふりをしてきたことばかりでした。

 

 

 

逆に、本当にコロナ禍から始まっている問題については、

 

結果的にはさほど深刻な影響は受けずに済むと思います。

 

 

一時的なダメージはあったとしても、

 

終息後に元の鞘に収まっていくか、

 

あるいは以前より状態は良くなっていったりするでしょう。

 

 

 

それはコロナそのものは、

 

初めからポジティブとかネガティブとか特定の意味をもって現れているわけではないからです。

 

 

ある人にとっては、ネガティブな変化の象徴としてこの体験を選択し、

 

ある人にとっては、ポジティブな変化を起こすきっかけとしてこの体験を選択しましたが、

 

どちらも体験そのものは同じなのです。

 

 

 

 

現象を利用する目的が違うだけです。

 

 

よく切れる刃物は美味しい料理を作るための道具になりますが、

 

自分や他人を傷つける道具にすることもできます。

 

 

 

道具そのものは特定の意味を持っていません。

 

新型コロナウィルスも同じです。

 

ただの道具です。

 

 

 

これが自然界で生み出されたウイルスだろうが、

 

人を傷つける目的で作られた人工ウイルスだろうが、

 

道具そのものの問題ではなく、

 

その道具をどんな目的で、どう使うのかが重要なのでしょう。

 

 

 

 

これは感染した経験も同じです。

 

感染そのものの体験が重要なのではなく、

 

感染経験を通して、浮き上がってきた問題を見つめることが重要なのです。

 

 

 

 

 

僕個人、

 

あなた個人、

 

私たちすべてが、

 

自我がつくりだすもの一つ一つと根気強く向き合い、

 

最後には受け入れていくことができるならば、

 

自我がつくりだすシナリオは、

 

もっと穏やかで平和的なストーリーに変化していきます。

 

 

 

そんなにしんどい思いをして変化を経験しなくても済むようになっていきます。

 

 

 

私たち一人一人に潜む恐れは、

 

見ないふりを続けるとジワジワとどこかに溜まっていき、ある日突然暴発するのです。

 

 

そうなる前に、

 

少しずつ少しずつ変化を受け入れて前に進んでいくしかありません。

 

 

 

 

面倒ですね。

 

 

本当めんどくさいです。笑

 

 

でもそれをするために僕もあなたも今ここにいるのでしょう。

 

 

 

 

 

仕方ない。

 

 

めんどくさい。

 

 

でも、やるしかない。笑

 

 

 

 

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